岩本煌史が TAJIRI に接近したとき、彼は変化を求めているのだと思った。
岩本が才能豊かな選手であることは誰もが知っている。実際、去年のバトル・オブ・グローリーでは優勝もしている。しかしいまいち精彩がなかった。アピールするもの、外に広がるものがないのだ。誰だったか忘れたが、ある選手がその点を批判したとき、わたしも頷くしかなかった。
なぜ外に訴えるものがないのかと、つらつら考えるに……どうも自分の道を進むということにこだわりすぎていたのではないかと思う。彼の意識はつねに内側にむかっていたような気がする。自己研鑽とか、自己鍛錬とか、自己修養といった言葉がぴったりくる男だった。
しかし自己にこだわりすぎると自家中毒を起こし、成長が止まることが往々にしてあるのだ。芸術家は先行者を摸倣し、摸倣することで自己の独自性を見出す。他に就くことで自を発見するというパラドクスが、芸術の要諦である。「孤高の芸術」を必殺技とする岩本は、そのことに気づいたのだろうか。彼は TAJIRI という学びがいのある先輩に接近し、さらにジェイク・リーの新ユニットに参加した。
このように意識を変革した男をこそ、われわれは刮目して見なければならない。先日の流山大会で彼は見事、青木からチャンピオン・ベルトを獲ったけれど、これは彼の変化が正しい方向にあることを示すものにすぎない。まだ彼の変化ははじまったばかりである。どのように変化するのか、変化の行く末にどんな岩本の姿があるのか。これは大いに注目に値する。いまやチャンピオンとなった彼の変革は、そっくりそのまま全日本ジュニアの変革といってもいいのだから。
Monday, August 27, 2018
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

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