昔、コーエンのパルプ小説にはまって、手当たり次第に読んでいた時期がある。フレデリック・ブラウンやリチャード・マーシュのような軽さや妙味があって、少しもあきなかった。先ごろ Hathi Trust のサイトを調べたら、まだ読んでいないコーエンの作品がデジタル化されて提供されていたので、ミステリ作品を選んで読んでみることにした。前回レビューした「赤いアリバイ」も Hathi Trust のサイトで見つけた。
今回読んだのは「愛にアリバイはなし」。一九四六年の作品だ。パルプ的な味わいは残しているが、これはかなり本格的なミステリである。しかもぞくぞくするようなストーリーテリングは、いつもとまったく変わらない。コーエンはとにかく、読者の興味をかき立てる筋の作り方に長けている。
主人公は若き建築家カーク。彼は独身だが、とびきり有名なダンサーで美人のダナと恋をしている。もちろん彼らは結婚したいのだが……ダナはすでにダンスのパートナーであるリカルドと結婚していたのだ。といっても二人の仲は悪く、現在は別居中である。さっさと離婚すればいいではないか、とわれわれは思うけれど、リカルドは最高のダンス・パートナーを失いたくないので、離婚に同意しないのである。
というわけで、物語はダナがダンスを披露する、ニューヨークの華やかなクラブを舞台に展開される。
映画で見るようなロマンチックなセッティングだが、建築家カークの銀行口座に、謎の人物から十万ドルが振り込まれるという奇怪な出来事が起き、ここから不吉な通奏低音が響きはじめる。
いったい誰が、何のためにこんな大金を彼の口座に振り込んだのか。しかし奇妙な事件はそれだけに留まらない。数日後、カークがアパートに戻ると、そこには見知らぬ女が死体となって横たわっていた。さらに彼は億万長者の娘から熱烈なアプローチを受け、ダナの嫉妬を買う。彼の友人である研修医は何者かによって銃で撃たれ、別の知り合いの女性はダナが踊っているクラブ内で射殺される。
テンポよくこうした事件が次々と起きて、最後にカークによって犯人が指摘され、奇怪な出来事の背後で何が生じていたのかが明らかにされる。
正直に言えば、カークが犯人に気づくときは、読者も犯人に気づくと思う。すくなくともわたしはすぐにわかった。しかしそれ以前に犯人を見抜くのは容易ではないだろう。それまではカークやダナと同様、別の人物が犯人であると思いこむはずだ。ところが物語の最後で意想外の人物が犯人であることを知る。
推理の部分はどうということはないけれど、このどんでん返しはあざやかで見事だ。わたし流の言い方をすると、カークとダナ(そして読者)はAという物語を想定しながら事件の推移を見守るわけだが、最後の瞬間にそれがひっくり返され、Bという物語が真相であることに気づく。ミステリは一種、物語批判の物語なのであり、本書はその特質を非常によく表現している。
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

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