「わが骨、わがフルート」はホラーというより、幽霊譚である。ミルトンという若い画家が、材木会社の社長一家(社長、奥さん、娘)といっしょにジャングル奥地へ行く。そこで社長が手に入れた不思議な古文書の謎を解くためである。
この古文書は十八世紀にギアナを植民地支配していたオランダのとある農園主が書いたものだ。奇怪なことにこれに手を触れた者は、不思議なフルートの音楽が聞こえるようになり、さらに時間が経つと、白人の幽霊が見えるようになる。そして最後には死んでいくのだ。
死を逃れるためにミルトンと社長の一家は得体の知れない心霊現象と必死になって闘う。
わたしは「エルトンズブロディ」を読んだときに「亀裂」がそのテーマであると思った。「わが骨、わがフルート」もやはり亀裂をめぐってさまざまな思考が展開されている。
たとえばミルトンは、風景を見ていると、突然目にしているものが実体を失い、現実と非現実の区別がつかなくなることがあるという。SF映画などではよく見かける場面だが、堅固な建築物が急に埃の塊のように崩れ去り、輝かしい美女がたちまち腐食して骸骨となったりする。そういうことが起き、ミルトンはそれまで築きあげてきた価値観を転覆させられてしまうのだ。
「要するにすべてがーー意識に揺らめくさまざまな象徴の動き、みずみずしさ、豊かな活動がーーじつはすべて死そのものなのである。」
われわれはシンボルの世界、象徴界に存在しているけれど、それは水の漏れる隙もなく堅固に構築された世界ではない。そこには必ず亀裂、現実界の穴が開いているのだ。われわれはこの亀裂や穴を見ないようにしているけれど、しかしそれらが存在している事実に変わりはない。ミルトンが語っているのはそういうことだ。
この本で語られる悪霊どもは、じつは亀裂や穴の向こう側から(現実界から)やってきた者どもである。
さらに面白いのはここに芸術の問題が絡んでくることだ。呪いの古文書を書いたオランダ人は、フルートで新しい音楽をつくり出そうとしていた。芸術において新しい形式や内容を生み出すとは、それまでの価値観をラディカルに否定すること、すなわち亀裂の瞬間を生み出すことだ。悪霊どもと接触する瞬間を持つことなのだ。
「わが骨、わがフルート」はたんなる幽霊譚ではない。ミッテルホルツァーの芸術観や歴史観、現実に対する哲学的な考察が読み取れるのだから。