全米オープンでナオミ・オサカがセリナ・ウィリアムズを破って優勝した。その優勝決定戦が論議の的になっている。
試合で劣勢に追いこまれたセリナが、審判からコーチングの注意を受けて、苛立ちのあまりラケットを足もとに叩きつけ毀した。その行為が二度目の注意となって、セリナは一ポイントのペナルティを受ける。
その後、セリナは審判に対して「謝れ」「嘘つき」「泥棒」と暴言を吐き、今度は一ゲームを失うという重いペナルティが科せられた。わたしはテニスのファンではないのでよくは知らないが、一ゲームを失うなんてペナルティははじめて見た。
観客はみなセリナびいきで、セリナが得点すると大喚声、ナオミが得点するとブーイングというありさま。審判に対しても大いに不満を持っているように見えた。表彰式の時までナオミにブーイングを浴びせるのだから、あきれたものである。
さて、新聞を見ると審判の判断が正しかったのかどうか、その点ばかりが議論されているようだ。しかしわたしは本質的なことはこれが人種差別であるということだと考える。セリナがいうような黒人差別のことではない。アメリカの外国人に対する差別のことである。(ナオミは父親がタヒチ人、母親が日本人だ。現在はアメリカに住んでいるが、国籍は日本らしい)
まず、セリナの勝利になにがかかっていたか。第一に、彼女が優勝していれば、オーストラリアのコート夫人が持つテニス四大大会女子シングルス優勝記録二十四勝に並んでいた。第二に、セリナの出産後の初優勝になったはずだった。第三に、その記念すべき勝利を彼女のホームグラウンドで実現できたはずだった。
強い母親像、世界でトップの記録。いずれもアメリカ的心情をくすぐるものだ。セリナが優勝していれば、アメリカ人はスーパーヒーロインを通してこうした愛国的満足を得ていたはずなのだ。
ところがその快楽が盗まれてしまった。盗んだのはもちろんナオミという外国人だ。彼女に終始ブーイングが浴びせられたのは、彼女がアメリカ的快楽の源泉を盗もうとしているからである。審判はたまたまこの二者の構図に割り込み、とばっちりを受けたにすぎない。「泥棒」と呼ばれたのは、実は審判ではなく、ナオミのほうである。
バーバラ・バーカーというスポーツ記者は、「セレナにペナルティを与えたのは、NBAファイナルの第七戦、残り十秒という瞬間にマイケル・ジョーダンにトラベリングの反則を宣告するようなものだ。審判にはそうする権利はあるのかもしれないが、しかし優勝決定戦がそんなふうに決まることを審判は本当に望むだろうか」と言っている。なにを言っているのだろう。反則は反則である。国民的英雄が活躍しているのだから邪魔をするな、ルールを無視しろ、とでもいうのだろうか。
しかし彼女がいっていることは、今回の事件の本質を明らかにしてくれる。アメリカ人は快楽を求めていたのである。快楽の充足が第一に来るのであって、ゲームをゲームたらしめる規則は二の次になるのだ。
人種差別というのはまさに「他者がわれわれの快楽を奪っている」という感情に根ざす。たとえば日本で在日韓国人が差別されるのはなぜか。彼らはわれわれに支払われるべき生活保護の金を得ている、われわれに使われるべき福祉の金が彼らに費やされている、などなどいろいろな理由があるが、いずれも「われわれの快楽が他者に簒奪されている」という感情である。
トランプ大統領は日本に貿易赤字の是正を厳しく求めてくるようだが、これまた「われわれが享受すべきものを外国が奪っている」という理屈である。自由貿易のルールに違反しているというならペナルティを受けるべきだが、トランプが考えているのはそんなことではない。差別的な感情に根ざす外交処置であって、こういう要求にへいへいと従っている日本の首相、閣僚、官僚たちにはうんざりする。
少し話がずれたが、全米オープンの事件において本当に問題なのは、ナオミがアメリカ人の快楽を奪ったという点なのである。審判が批判されているけれど、快楽を奪われた怒りの矛先がたまたま彼に向かったというだけのことだ。
この根底的な差別問題を無視して別の差別問題を取り上げること(黒人への差別、女性への差別)は、欺瞞なのである。
Tuesday, September 11, 2018
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
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