大学時代、わたしはある種の知的・精神的混乱に陥り、欝になったことがある。すべてが灰色に染まり、なぜ生きているのかわからないような状態、ゾンビが心を持っているとしたら、あのようなものだろうという感じの状態になってしまった。病院の精神科というところにもいったが、役には立たなかった。
そこでわたしを救ってくれたのは、なんと丸谷才一のエッセイ集だった。彼はそれを雑文と称していたと思う。しかし雑な書き方どころか、出だしから終わりまで考え抜かれた見事な構成で、しかもエスプリもきいている。知的でいて、しかも遊び心があふれているのだ。わたしはその本を本屋で手に取り、一ページを読んだだけで、これこそ自分が必要としているものだと思った。実際、丸谷を読むことで精神的混乱は収まり、さらにそこからわたしの知的な活動が本格的にはじまったのである。丸谷の文章の書き方を徹底的に研究し、自分の文章の模範とした。
高校時代にも気持ちが落ち込んだことがあった。なにに悩んでいたのかは、もう覚えていないが、そのときわたしを奮い立たせてくれたのは中野好夫が訳した「デイヴィッド・コパフィールド」だった。あれを読んでわたしは一気に気分が高揚し、将来、自分もこんな本が訳せる翻訳家になろうと思った。
ガーディアン紙に Just how helpful is reading for depression という記事を見つけて読んだが、読みながら上に書いたようなことを思いだした。本を抗鬱剤のように使うというわけではないが、しかしまったくの偶然から本が人に希望を与えることはあるだろう。わたしはそれで二回助けられたし、その他にも数え切れないほど本からいろいろな刺激を受けてきた。もしも悩みごとを抱えているなら、一度大きな本屋に行っていろいろな小説をちらちらと眺めてみてはどうだろう。悩みごとを解決してはくれないまでも、それに立ち向かう勇気を与える本に出会うかもしれない。文学というのはたいてい悩んでいる人間について書かれたものなのだから。
Monday, November 19, 2018
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
§4. Solch ein kleines Kind weiß von gar nichts. そんな 小さな子供は何も知らない。 一般的に「さような」という際には solch- を用います(英語の such )が、その用法には二三の場合が区別されます。まず題文...
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昨年アマゾンから出版したチャールズ・ペリー作「溺れゆく若い男の肖像」とロバート・レスリー・ベレム作「ブルーマーダー」の販売を停止します。理由は著作権保護期間に対するわたしの勘違いで、いずれの作品もまだ日本ではパブリックドメイン入りをしていませんでした。自分の迂闊さを反省し、読者の...
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久しぶりにプロレスの話を書く。 四月二十八日に行われたチャンピオン・カーニバルで大谷選手がケガをした。肩の骨の骨折と聞いている。ビデオを見る限り、大谷選手がリングのエプロンからリング下の相手に一廻転して体当たりをくわせようとしたようである。そのときの落ち方が悪く、堅い床に肩をぶつ...
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ジョン・ラッセル・ファーンが1957年に書いたミステリ。おそらくファーンが書いたミステリのなかでももっとも出来のよい一作ではないか。 テリーという映写技師が借金に困り、とうとう自分が勤める映画館の金庫から金を盗むことになる。もともとこの映画館には泥棒がよく入っていたので、偽装する...