プロレスの試合を見るときは音を消してしまう。その理由はアナウンサーがうるさいから。
選手がぶつかり合ったり、倒れたりするときの音が聞こえないので、いまひとつ迫力に欠けるのだが、アナウンサーの余計な声がない分、集中して観戦することができる。
わたしは選手の動きを見てあれこれ考えるのが好きなのだが、アナウンサーの声が聞こえていると、そっちに気を取られ、考えることができないのである。
プロレスの試合にはいろいろな駈け引きがある。レスラーは無闇矢鱈と戦っているのではないのだ。相手より自分を強く見せたり、相手をいらだたせたりする、いろいろなテクニックを駆使して試合を進めて行くのだ。わたしはそういう動きを一つ一つ確認していくのが好きなのである。なぜこの選手はリング外に出たのだろう、とか、なぜ彼は相手と組み合うのを拒否したのだろう、とか、いつもより攻めのテンポがゆっくりしているが、どういう作戦を立てているのだろう、とか、わたしはいつも考えている。
これはプロレスに限った話ではない。文学や映画や将棋に対してもおなじような態度を取っている。文学作品を読むときは、とにかくその作品を何度も読み、何度も考え直し、自分の意見を確立しようとする。その後、他の有力な批評家の意見を聞いたりすることもあるけれど、まずは無心になって作品と徹底的に向き合う。
映画を見るときは、画面から与えられる情報を整理しながら、この作品の問題点はどこにあるのだろうと、ずっと考えつづけている。だから映画を見終わって爽快な気分になることはない。いつもくたくたになって映画館を出る。だからだろう、映画は滅多に見ない。
将棋の実況中継を見るときは、棋譜のみを見る。プロが解説していることもあるが、そういう番組は見ない。棋譜のみを見て、自分で手の意味や、次の一手を考える。プロの解説は、自分なりの見解を出した後に聞くと、参考になる。
要するにわたしは「読み解く」という作業が好きなのだ。その作業を邪魔されるのがいやなのだ。だから無音でプロレスを見るのである。
Friday, November 23, 2018
今月の注目作
Fowlers End by Gerald Kersh Fadepage 「ファウラーズ・エンド」というのはロンドンの郊外にある工業地区のことで、労働者が居住している。そこにある映画館の支配人が住民たちや仕事仲間とかわす会話を集めた本で、とくにドラマチックな筋があるわけではない...
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§9. 不定の意を強める irgend 「何か」(etwas, was)といえばよいところを、特に念を入れて「何でもよいからとにかく何か」といいたい時には irgend etwas, irgend was といいます。その他不定詞(ein, jemand,...
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アリソン・フラッドがガーディアン紙に「古本 文学的剽窃という薄暗い世界」というタイトルで記事を出していた。 最近ガーディアン紙上で盗作問題が連続して取り上げられたので、それをまとめたような内容になっている。それを読んで思ったことを書きつけておく。 わたしは学術論文でもないかぎり、...