1990年代にアメリカの大学の講師になったとき、その年度新規採用になった教師向けにオリエンテーションがあった。われわれは司会に「みずからをアイデンティファイせよ。そこが出発点だ」と言われて、ひとりひとり自己紹介することになったのだが、わたしは司会の言葉にひどくひっかかるものを感じた。
「アイデンティファイせよ。そこが出発点だ」アイデンティファイというのは、自分がどのような民族的・人種的・性的グループに属するか、それを示せということである。なるほど、これがアメリカのアイデンティティ・ポリティックスか、とわたしは思った。同時に司会がこの政策を疑いもなく受け入れ、それを他人にも押しつける姿に、強い反感を感じた。さらにアメリカのこの政策には根本的な間違いがあるのじゃないかと思った。
アイデンティティ・ポリティックスは一種の問題解決法である。市民の誰かが困難に逢着するとする。その場合、地域の官僚組織は、その市民が日系アメリカ人であり、シングルマザーであり、レズビアンであるといったカテゴリーによって分類し、その細かな分類ごとに対処法を考える。
これは一見有効そうに見える。非常に特殊な複合カテゴリーにも一通りの対応が用意されているからだ。しかし有効ではあってもなにか基本的な見落としがあるのではないか。わたしは「アイデンティファイせよ」と無理矢理背丈をアメリカの基準に合わせることを求められ、本能的に反発を感じた。
新規採用になった教師の一人は、自分はスエーデンの国籍を持っているが、父親はロシア人で母親はスエーデン人とフランス人のハーフであり、父方のお祖父さんは……といったように、非常に複雑なみずからの出自を語った。きっと彼もアメリカ流のカテゴリー分けに反発したのだろう。そして、はたしてわたしのようなカテゴリーをアメリカは想定しているのかな、と皮肉めいた疑問を投げかけようとしたのではないか。しかしわたしは直感的にそのような批判はうまくいかないと思った。なるほどその教師がいうようなカテゴリーをアメリカは想定していなかったかもしれない。しかし指摘されればすぐ彼らはそれを用意するだろう。敵の土俵で戦う限り、敵はすぐに対応策を見つけ出す。敵の土俵を形づくっている土台に対して有効な批判を見出さなければならない。わたしはそれがあると感じた。しかしなかなかそれが見えてこなかった。
(つづく)
独逸語大講座(20)
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