タイトルの正しいつづりは skulduggery。しかし本作では犬が重要な役割を果たし、登場人物の一人がしゃれのつもりで skuldoggery という言葉を造った。それがそのままタイトルになっている。
作者のフレッチャー・フローラ(Fletcher Flora)は1914年に生まれ、1968年に亡くなっている。つまり来年彼はパブリック・ドメイン入りすることになっている。アメリカはカンサス州の生まれで、パルプ小説を書いたことで知られている。日本では短編はいくつか紹介されているが、長篇はまだ知られていない。わたしも彼の作品は今回がはじめてなのだが、意外にいいのでびっくりした。
最初にちょっと面白いことを書くと、今の時点で英語のウィキペディアにフレッチャー・フローラの項目はない。ところがフランス語版のウィキペディアには彼の紹介が載っている。これはアメリカとフランスにおける彼の評価の違いをあらわしていると思う。フレッチャー・フローラはフランス人好みの作家なのだ。
どこがフランス人好みなのかというと、まずユーモアがある。オスカー・ワイルド風のひねったものの言い方がすばらしくうまいのだ。第二にノワール風の味わいがある。ノワール風の、なんていうのだろう、大人の雰囲気をただよわせた、渋い作品はフランスでは人気がある。高倉健が主演した日本映画「新幹線大爆破」なんて映画もノワール風の映画だったが、確かあの作品も日本でよりフランスで人気が出たはずである。
ノワールの雰囲気をただよわせたユーモア小説なんて、わたしにはたまらなく興味深いが、今のアメリカ人にはどうも受けないようだ。表現が直截でアクションに充ちていないと彼らの集中力は途切れてしまうらしい。
物語は「祖父」の死から始まる。殺されたのではない。自然死である。巨額の遺産を残したはずなので、その子供たちや孫である相続人たちはにこにこ顔で葬儀に参列する。
ところが遺書が発表された途端、その顔色が変わる。遺産はすべて「祖父」のペットであるチワワに与えられることになっていたのだ。「祖父」の召使い夫婦がチワワの後見人だ。
しかし、もしもチワワが子供も残さず死んだなら、その遺産は相続人たちに分配される。チワワが子供をつくったなら、遺産は小犬たちのために使われる。「祖父」の子供たちや孫たちは、さっそくチワワ殺害をもくろむ。
わたしはこれだけでニヤニヤ笑いが止まらなくなった。遺産目当てに人を殺す話は腐るほどあるが、チワワを無きものにしようとするなんて話ははじめてだ。これは楽しい。こういう話を「馬鹿臭い」という人は、文学の贅沢な味わい方を知らないのである。しかも結末では見事にある「謎」が解明される。パルプらしいチープな謎だが、悪くはない。
登場人物はいずれもエキセントリック。語りも会話もひねりのきいた見事なもので、こんなに愉快な作家をいままで見逃していたとは不覚である。ほかの作品も読んでいちばんできのよいものを訳そうかと思っている。
英語読解のヒント(164)
164. hang me if 基本表現と解説 Hang me if you can do it. I'm hanged if you can do it. I'll be hanged if you can do it. いずれも「お前にできるなら...
-
久しぶりにプロレスの話を書く。 四月二十八日に行われたチャンピオン・カーニバルで大谷選手がケガをした。肩の骨の骨折と聞いている。ビデオを見る限り、大谷選手がリングのエプロンからリング下の相手に一廻転して体当たりをくわせようとしたようである。そのときの落ち方が悪く、堅い床に肩をぶつ...
-
今朝、プロジェクト・グーテンバーグのサイトを見たら、トマス・ボイドの「麦畑を抜けて」(Through the Wheat)が電子書籍化されていた。これは戦争文学の、あまり知られざる傑作である。 今年からアメリカでは1923年出版の書籍がパブリックドメイン入りしたので、それを受けて...
-
「ミセス・バルフェイムは殺人の決心をした」という一文で本作ははじまる。 ミセス・バルフェイムは当時で云う「新しい女」の一人である。家に閉じこもる古いタイプの女性ではなく、男性顔負けの知的な会話もすれば、地域の社交をリードしもする。 彼女の良人デイブは考え方がやや古い政治家...