バリー・ペイン(Barry Pain 1864 - 1928)を知っている人はあまりいないと思うが、「宝島」のスチーブンソンに「イギリスのモーパッサン」と称された、当時はそれなりに知られた作家である。特に本書はラブクラフトのある短編に影響を与えた作品として知られている。
マイアスという天才的な医学者が、他人と魂の交換を可能にする装置をつくりあげた。彼は自分の実験を積極的に手伝ってくれた若い女と魂を取り替えるのだが、装置の故障が原因で死んでしまう。(魂を交換するには身体を麻酔状態に置かなければならないのだが、その投与が正確に行われなかった)その結果、彼の魂は……女の身体に移ってしまったのである。
彼の魂は女の身体を次第に支配していく。最初は女の意識が彼の邪魔をしていたが、外国語の知識が一気に舞い戻り、そのうち医学的な知識も忽然と戻ってくるだろうと考えていた。それまで人から怪しまれぬよう、友人(語り手)の力をかりて、人里離れた場所でひっそり暮らそうと考えていたのだが、そこへ行く途中、鉄道事故に遭い、命をなくす。
魂の交換というのは F. Antsy という人が1882年に書いた「取り替え物語」が最初とされている。実業家の父親とパブリック・スクールで学ぶ息子がふとしたことから魂を(あるいは肉体を)取り替えるというコミック小説である。この愉快な状況は、父親の弟がインドから持ち帰った不思議な力を持つ宝石によって引き起こされるのだが、バリー・ベインの作品では魂の交換は、電話の「交換」(交換局の交換)に譬えられているところが面白い。魂はある種の機械的な操作によって肉体間を移動するのである。最初は魔力によって引き起こされたものが、機械的操作によって生じるようになる。主題へのアプローチの仕方の変化には注目すべきだろう。
もう一点、この作品で興味深かったのは、語り手が事件の一部始終を語り終え、物語の後書きとして書いている部分だ。彼はとある高名な医者と話をするのだが、その医者は女の身体に女とマイアスの魂が共存している状態を単に「多重人格」、いわゆる解離性同一性障害とみなす。そんな症例は山ほどある、マイアスが言っていたような魂の交換などできはしない、というのだ。
しかしこの議論はちょっとおかしい。語り手は魂の共存という状態に畏怖の念を抱いているが、医者はそれを「多重人格」と呼び、なんのことはないという。しかし「多重人格」とはなんなのか。それは依然として「謎」ではないのか。医者は命名によって「謎」を消し去ろうとしているだけではないのか。
マイアスはこう言っている。「分類は説明じゃない……科学が困難を回避できないとき、科学はそれに名前をつけ、それで満足してしまうのだ」
この視点も重要だと思う。命名が大事であるとはわたしも思うが、しかしそれは謎解きへの第一歩に過ぎない。謎が片付いたわけではないのである。
独逸語大講座(20)
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