フランシス・スパッフォードという作家がナルニア国の番外編を書いたそうだ。「石のテーブル」というタイトルで、「魔法使いの甥」と「ライオンと魔女と衣装箪笥」の間に起きた出来事を物語化しているという。出版されてないので当然わたしは読んだことがないが、スパッフォードは実力のある作家で、作品を読んだ関係者(作家や批評家や友人)はみんなすばらしいと言っている。現役作家がナルニア国のファンフィクションを書いた、と考えればいいだろう。
しかしC.S.ルイスの作品は著作権が存続している。だから「石のテーブル」は著作権を持つルイスの子孫が同意しないならば、2034年まで出版ができない。
もともとこの問題はファンフィクションにつきまとっていた。大好きな作家の創り出した世界を借りて多くの人が独自の想像をふくらませてファンフィクションを書いてきたのだが、オリジナルを書いた作者のほうは、まあ、剽窃行為が行われていることは知っていたが、目をつぶってきたのである。そのほとんどがアマチュアによる凡庸な作品にすぎなかったし、その程度の楽しみに法的介入を試みるのはまさしく野暮というものだからだろう。
が、今回は事情が違う。書いた人は現役の作家であり、内容もずば抜けている(らしい)。こんな本が出たらナルニア・ファンはさっそく手にして読むだろう。当然著作権者は面白くない。「原作の魅力を勝手に利用して、金をもうけやがって」ということになる。
著作権の認めるところ、著作権者は「石のテーブル」を2034年まで出版させない権利を持つ。一方ではそれに対して強力な反論が展開されうるだろう。つまり、著作権者はあらたな文化の芽、知の拡散を妨げている、という反論である。「石のテーブル」によって原作に対する新しい考え方、新しい批評的視点が付け加わるかも知れない。オリジナルの世界がより豊かになるかも知れない。そうした文化的な進展を阻害する権利が、はたして著作権者にあるのか。
著作権の考え方が時代に即していないという声が世界中のあちこちで起きはじめているけれど、今後も問題は継続し、しかもより大きな問題となるような気がする。
Tuesday, April 2, 2019
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
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