ブルース・ローゼンブルムとフレッド・クットナーという物理学者が量子力学と意識の関係について素人向けに書いた本である。翻訳が出ているのかどうか知らないが、良書ではあると思う。わたしはいつも思うのだが、アメリカで出されるこうした「入門書」は質の高いものが多い。日本人の専門家が書いた入門書はつまらないこと砂を噛むが如しだが、アメリカで出される本は論点も明快だし、読んで興味深い。
量子力学が意識の問題にぶつかっていることは、もう大方の知るところだろう。観察することが観察対象のふるまいに影響を与えるだけでなく、観察対象を創り出す、そんな奇怪な現象に量子力学はぶつかっている。観察・意識とはなんなのか。彼らが疑問に思うのも当然である。
わたしはこの本を読みながらたえずテキストの問題を考えつづけた。量子力学と文学のあいだに妙なアナロジーを見出したからである。量子力学ではいま言ったように、観察者が観察結果に影響を与える。つまり観察者と観察の対象のあいだには、なんらかのインターアクションが存在していると考えられる。観察者は観察対象とはまったく別の超越的なレベルに位置しているのではないのである。これはテキストの問題においては、メタ言語は存在しないと言い替えられる。
このようなアナロジーはどこまで成立するのだろう、というのが、わたしが読みながらつねに考えていたことだ。量子力学で言う「重ね合わせ」とか「確率」というものはテキストの問題においてはどのように置き換えることができるか。結論はでないけれども、そういう思考をうながす本書は、意外なくらい刺激的だった。
ただし作者たちが量子力学の実験や理論について語っているところはよいのだが、最後のほうに入って「意識」について論じ出すと、ひどい。彼らに哲学や文学などの知識を要求するのはむりというものだが、しかしもしも量子力学者がこんなレベルで議論をしているなら、「謎」が解明されるのははるか先にならざるをえないだろう。ヴィットゲンシュタインの言葉の解釈も間違っているし、超越的な位置に関するマルクスやハイデガーやラカンやデリダらの議論も知らないようなのだから。誰かルネサンス的な人間、ガリレオ的な人間があらわれて知を統合しなければならないだろう。
独逸語大講座(20)
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