わたしの翻訳した本が海賊版となって出まわったならわたしはどうするか。
放っておく。
べつに気にしない。
知的な財産と資本主義的な体制のあいだにはおかしな齟齬が存在する。知的なものは拡散されればされほど力を得る。より多くの人に知が広がるほど、その知の優秀性が証明される。
ところが資本主義的な権利というやつは、知の無制限な拡散を食い止めようとする。それは利益を生み出す限りに於いて拡散を認めるのである。商業的な経路を通じて広がるぶんにはかまわないが、海賊版のような形で広がることは禁止しようとする。
しかし電車やホテルの中で読み捨てられた本を見つけ、楽しいひとときを過ごしたことはないだろうか。わたしは中国で大学の宿舎に入って生活していたことがあるが、入居した初日、戸棚を開けると、上から下までびっしり先住者の本が詰まっているのを見てびっくりしたことがある。すべて英語とドイツ語の本だったので、わたしはしばらく本を買う必要がないくらいだった。そんな商業経路からははずれた形でわれわれは知に接することがよくある。古本屋でも、ほとんどただ同然で貴重な本を手に入れることがある。図書館も知の拡散のための場所である。よい本を読んで興奮したようにその本について語る友人の言葉を聞きながら、なるほどそういう考え方もあるかと思ったこともある。植物が魅力的な実をつけて鳥の食欲を誘い、種を拡散させるように、知も人を惹きつけて、みずからの種を広範囲にばらまかせようとする。
知というのは資本主義的な規制を乗り越えて広がろうとする。わたしの翻訳の海賊版が出回るなら、それは知の性質上しかたのないことであり、それどころか慶賀すべきことではないかとさえ思っている。
Thursday, April 18, 2019
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
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