Saturday, April 20, 2019

図書館は海賊なのか

漫画だけでなく、文字が主体の書籍も海賊版がネット上に出回っている。それも相当な数の海賊サイトが存在しているそうだ。出版社や作家は、自分たちの収入に悪影響を与えると抗議をし、これを報じる人々も違法なダウンロードはしてはいけないという立場から記事を書く。

わたしが好きなガーディアン紙には、すこし前に海賊版の利用を非難する記事が出ていたが('I can get any novel I want in 30 seconds": can book piracy be stopped?)、その問題の立て方の単純さにはちょっとあきれる。

わたしは知はその性格上、資本主義的な体制と相容れない、そのことが海賊版の問題となってあらわれていると、議論しているのだが、この記事の書き手は資本主義的体制を当然の前提と考え、単に海賊本をダウンロードするのはいけないと論じているだけだ。

それなら図書館という存在は、この議論の中でどう位置づけられるのか。本を買わなくても読める、この公共施設と海賊版サイトのあいだにどのような本質的差異があるというのか。

最近は図書館に行くと通帳をつくってくれるところもあるそうだ。通帳には借りた本の値段が記入され、本をたくさん借りるほど、その累計金額は増えていく。本を実際に買ったらこれだけになりますよ、それがただで読めたのですよ、という事実を眼に見える形で表現したのが図書館の通帳といわれるやつである。ある意味でずいぶん「えぐい」サービスだが、それこそが図書館の機能である。知を売るのではなく、無償で拡散し、文化を広げるのが図書館である。

わたしは海賊版サイトを新手の図書館である、などと言っているのではない。このようなサイトができるのは、もともと知とか情報には拡散をうながす力、資本主義的原理を無視した力が備わっているからだといいたいのである。そこを無視し、頭から資本主義的原理を是とする議論にはつきあいきれない。強力な法的規制を敷いて海賊版を取り締まれと叫ぶ作家もいるが、彼らは知の性格に対する洞察に欠けている。そんな作家の作品は無料配布されていてもわたしは読まないだろう。

(公共図書館は税金で支えられている。さらにイギリスの図書館では借りられた回数に応じて作者に支払いがなされるシステムだ。だからわれわれは料金をまるきり払っていないというわけではない。しかしわたしなどは図書館通帳をつくれば数十万円にも及ぶであろう冊数の本を借りているのだから、税金として支払う額と図書館から受ける恩恵のあいだに大きな差が生じていることは明らかだ)

独逸語大講座(20)

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