この前、ウィンストン・チャーチルを扱ったので、今回も政治家と文学の話をしよう。
六月十六日は「ブルームの日」と呼ばれている。ジェイムズ・ジョイスの記念碑的な作品である「ユリシーズ」はこの日一日の出来事を詳細に描いているのだが、その主人公がブルームという広告取りの男なのである。おそらくアイルランドでは「ユリシーズ」全編がラジオかなにかで朗読されるだろう。世界中で「ユリシーズ」をめぐるシンポジウムや学会が開かれるだろう。それくらいジョイスのこの作品は傑出しており、ブルームの日は有名なのである。
ガーディアン紙はこの日を前に、なんとジェレミー・コービンが「ユリシーズ」を愛読していることを記事にした。ご多聞に漏れずコービンも最初は「ユリシーズ」の難解さに辟易し、途中で本を投げ出したことが何度かあるようだ。しかし彼は物語の流れを無視して、ところどころ面白そうな部分を断片的に読みだした。それが功を奏してコービンは「ユリシーズ」が好きになったらしい。たしかにこういう読み方がいいかもしれない。物語の大筋はいろいろな本やウエッブサイトで紹介されているから、それを読んで一応把握しておき、あとは読めそうなところを拾い読みする。それだけでも結構得るところはあるはずだ。
コービンは文芸批評家ではないから、なにか特異な「ユリシーズ」論を展開しているわけではない。しかし次の一言には批評精神が感じられる。「ジョイスは街中で起きていることを豊かに描き出している。たとえば誰かが政治的な大問題について演説しているとき、ごみを積んだ荷車が通り過ぎるんだ」このような描写からコービンは次のような考え方を引き出す。「ぼくらはブレクシットとか、そんな大問題にどっぷりつかっているかもしれないが、多くの人はちがうんだ。彼らにとって日々の生活はもっと大切だ。政治家は忘れちゃいけないんだよ、人々は生活しなきゃならないんだってことを、そして口にこそしないけれど、しばしば彼らは夢を抱いているってことを」
コービンは「ユリシーズ」のほかにもチヌア・アチェベの「崩れゆく絆」とかベン・オクリの「満たされぬ道」もよく読み返すらしい。
イギリスの政治家には、衰えたりとはいえ、いまだ文人精神が息づいている。文学を読み、そこからなにごとかを汲み取る想像力がある。「おっぱい」を連呼するどこぞの政治家とは大違いである。
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

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