Saturday, July 27, 2019

日本に一冊?

アメリカには Valancourt Books という小さな出版社がある。ホラー小説、ゴシック小説、LGBT 小説などを出している。しかし特徴的なのは、それらが「忘れられた作品」であるという点だ。よい作品であるのに、なぜか絶版になっている本、そんな作品を積極的に探し出してきて出版している。ここから出ている本は Internet Archive でも見つからないことがよくある。そのせいだろう、マニアックな一部の読書家の間では Valancourt Books の名はよく知られている。

日本にも珍しい本はたくさんある。が、それを積極的に出すような出版社はない。儲かるか否かが、彼らの出版の基準だからだ。希少性を儲けにつなげる創意工夫も持ち合わせがない。

さて、わたしが新版を出して欲しいと思う作品をいくつか挙げてみる。

大町桂月の「西遊記」。これは山ほどある西遊記の翻訳の中でも最高の一冊だと思う。文語文だが、その生きのよさはピカイチである。桂月の全集はあるのだが、なぜか翻訳はその中に含まれていない。日本文学に於いて翻訳は非常に大きな意味を持っている。現代文を形成する過程に於いて果たした翻訳文の役割はおそろしく大きいのに、文学者の全集から翻訳を省いてしまうと云うのは出版社の見識のなさを露呈している。桂月の「西遊記」は大学の図書館にも見当たらないようだし、国会図書館にあるのが日本に存在する唯一の本、世界でたった一冊しかない本ということになるのだろうか。

佐々木邦の翻訳作品。佐々木邦も全集か選集が出ているが、そこからは翻訳作品が省かれている。だが、佐々木の文章や作風は英米文学からの影響が大であり、翻訳作品は彼が外国文学からなにを、いかに学んだかを知る大切な資料となる。是非とも復刊して欲しいものだ。佐々木の翻訳もおそらく国会図書館にあるのが世界に存在する唯一の本ではないか。

小杉天外の「長者星」。これは明治時代に書かれた経済小説で、わたしは昔から読みたいと思っていたがのだが、どこの図書館にも本がなくて、困っていた本だ。国会図書館のデジタルライブラリーではじめて読むことができた。傑作ではないけれども、よく調査がなされた力作ではある。

永井荷風の「女優ナナ」。荷風がゾラに心酔していたことはよく知られている。それがいつの間に「墨東綺譚」のような軽妙でとらえどころのない作品を書くようになったのか、わたしにはなんとも不思議でならない。それはともかく、「女優ナナ」は文語文で書かれた翻訳文学の傑作である。これが傑作でないなら、鴎外の「即興詩人」だって傑作ではない。それくらい味読すべき作品だ。ただしこれは全集に含まれていることもあるので、入手しやすい。

恐らく日本に一冊しかないであろう本がこんなにあると、完全に失われてしまった本は何冊あるのだろうと暗澹となる。無名作家の無名の作品ならいざしらず、桂月も佐々木も小杉もそれなりに地歩を確立した作家達である。

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