神秘主義が好きな人ならダイアン・フォーチュンの名を知っているだろう。カバラとかオカルト関係の本をいくつも出している。しかし彼女は小説を書くのもうまい。もちろん内容はオカルト的なものだが、その語り口には優秀なストーリーテラーの雄弁さ、止めようとしても止まらない物語への衝迫がある。彼女は V. M. Steele というペンネームでスリラーも何作か書いている。神秘学の考え方を広めるために小説を書いたのではなく、彼女はわくわくどきどきする物語をつくるのが好きだったのではないか。わたしはこういう作家が好きである。
物語は金持ちだがとくに情熱も特徴もないヒューという男をめぐって展開する。彼は交通事故で妻をなくす。死因審問が行われ、そこで妻がヒューの親友と浮気をしていたことが判明する。ヒューは妻の死より、裏切られていたことにはじめて気づいて呆然とし、家を出て夜の街をさまよう。
彼はふとしたきっかけから、古本屋に寝泊りするようになる。そこでユイスマンなどを読んだ彼は、悪魔学に興味を持ち、パンの神(牧羊神)を実際に呼び出してみようと考える。ひどいショックを受けたとき、人生を転換するために人はそれまでまともに取り合わなかったようなことに首を突っ込んだりするものだが、ヒューの場合もそれに当たるだろう。彼は悪魔的な儀式をするなら、そのための舞台が必要であろうと、霊気の強い地域に建つ、古い修道院を買い上げる。
この修道院の歴史を調べると、かつてそこにはアンブロジアムという僧侶がいたらしい。彼は異端的な考え方をしたが故に、懲罰を受けたということだった。
物語はここからオカルト的になる。ヒューがこのアンブロジアムという僧侶の霊に取り憑かれるようになるのだ。いつもは気の弱い、お金持ちのおぼっちゃんが大きくなっただけのような彼が、アンブロジアムに取り憑かれたときは、威厳のある、反対を許さない、きびしい人間になる。
ヒューは古本屋の主人の姪、モナの力を借りて、この霊と対決しようとする。
オカルトやら通俗的精神分析やら神話やら、いろいろなものが詰め込まれていて、この手の話が好きな人にはたまらない本だろう。たんに怪奇を語るのではなく、人間関係をしっかり描き込んで、なかなか重量感のある小説に仕上がっている。決してホラー小説ではない。スピリチュアリズムを真っ向から扱った、一種の思想小説である。フロイト理解があまりにも浅薄すぎるけれど、まあ、これは仕方がない。
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
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