表題の聖ペテロの雪とは、麦にとりつくカビの一種で、これに含まれるある物質が人々のあいだに宗教的熱狂を生むという設定である。西欧の歴史には十字軍とか魔女裁判とかいろいろな熱狂現象が見られるけれど、それとこのカビの発生がシンクロナイズしているというのだ。
これを利用してある科学者が、村人たちをキリスト教に帰依させようとするのだが、事態は意外な方向に進んでしまう。
これはミステリのように読めるので、筋の紹介はこれ以上はしない。しかし夢と現実、狂気と正気、物質と精神といったさまざまな二項対立がなし崩しになり、その区別の複雑微妙さに眼を向けさせる、なかなか面白い本だった。薬物使用、現実と虚構のあわい境目、などと書くと、フィリップ・K・ディックを思い出すが、実際、ちょっと似たところがあるようだ。
ただ一つ不満を言うと、作者は信仰について非常に単純な見方をしている。作中に「なぜ人々は神を信仰しなくなったのか」という表題の本が登場するが、作者は以前は人間は信仰を持っていたが、今、啓蒙された人間は神を信じなくなったと考えているようだ。それは違う。信仰は不可思議な形で継続している。それを見事に作品化したのがマリー・コレーリの「悪魔の悲しみ」だ。それによると資本主義社会に於ける信仰は、他者へ転移される、シニカルな信仰なのである。この考え方はスラヴォイ・ジジェクが唱えるイデオロギー論の核心にぴったり合致している。