白國人はマース河の橋を爆發したが我が工兵は、急速架橋の作業をしたので、我等は其の朝に於て、安らかに之を渡ることができた。ウヰゼ市の光景は、我等をして凄絶の感にたへざらしめたけれども、而も亦莊觀であつた。広莊なる建物の既に灰燼となり去つたものがあれば、數寄を極めた家の未だ全く燒け盡さゞるものあり、又新に黑煙を吐く高樓があれば、今將に燃え移らんとする巨屋あり、街あり、街に連なる火焔は赫々として天に沖し、巷より巷に續く濃煙は濛々として地を蔽ひ、ものゝ爆ける音、落ちて碎ける音、罵る聲、叫ぶ聲、慘として地獄の劫火を見るが如き心もしたのである。
適当にページを開いて引用してみた。名文とは言わないが、簡にして要を得た、気持ちのいい文章である。ドイツ語をこれだけの日本語に翻訳・移植するのは並大抵のドイツ語力、日本語力ではないといわざるをえない。
作者が文化人であるため、戦争中であるにも拘わらず戦地の博物館を訪ねたりするなど、ずいぶんおっとりした、貴族的なおもむきを持つ、という点をのぞけば、普通の従軍記である。自国の正義を信じ、そのために命をなげうち、泥にまみれ、土の味のする糧食を食べ、ほんの偶然から部下は死に、自分は助かる。ただおなじ文人の作者ではあっても、「敵はほかにいる」と書いた大岡昇平の「俘虜記」と較べると、その認識はやはり鋭さを欠いている。