Wednesday, December 11, 2019

イギリスと翻訳の賑わい

イギリスでは翻訳文学がよく読まれているようだ。エレナ・フェランテは圧倒的な人気でもって迎えられ、ナタリア・ギンズバーグやヴィルジニ・デスペンテス、日本の津島祐子や小川洋子などもそこそこ読まれている。(イギリスから見て)外国の作家が新聞紙面を賑わせたり、書店に平積みされたりするのは珍しいことだったけど、このごろはそうでもないらしい。ガーディアン紙によると翻訳文学の売り上げは去年は5.5パーセントだったが、今年は20パーセントに跳ね上がったという。

翻訳文学を熱心に出しているのは、どちらかというと小さい出版社なので、彼らの地道な努力が実ったのだ、とちょっとうれしい気分ではある。わたしは弱い者の味方だから。翻訳者もがんばっている。以前は淡泊な文章の翻訳が多かったが、今はずいぶん繊細な文章を書く人が出てきたと思う。翻訳者の努力も認めなければならないだろう。

さらに翻訳文学にイギリス人の目を向けさせた大切なもの、それは、ちょっと意外かもしれないが、ブレクスイット。離脱をめぐって大もめだが、あれによって自分たちはヨーロッパの一部なのか、それとも思っていたほどヨーロッパ的ではないのか、という奇妙な自意識、罪責感が生まれた。それが外国文学への興味へとつながった。わたしはブレクスイットを残念に思っているが、しかし翻訳文学への関心が強くなったという事実には希望を感じる。まだ他者への関心が旺盛だということだからだ。

エドワード・アタイヤ「残酷な火」

  エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...