「翻訳ミステリー大賞シンジケート」というサイトにわたしが訳した本(クロード・ホートン作「わが名はジョナサン・スクリブナー」)のレビューが出ていた。「訳者の解説とセットで味読したい逸品」とずいぶん持ち上げてくれて、素直にうれしい。商業ベースじゃない、個人の趣味でやっている企画にまで目を配ってもらえて、ただもう幸せの一言である。
というわけで今回は「わが名はジョナサン・スクリブナー」の裏話を披露してみたいと思う。お読みでない方には意味の通じない記事になるが、ご容赦を願う。
裏話その一。
あの解説はじつをいうと、ジャック・ラカンの議論の焼き直しに過ぎない。ラカンは「語る主体」とか「大文字の他者」といった概念を用いているが、それを小説論的に言い換えただけなのだ。ラカンの議論との平行性を明かしてさらに読解を深めることもできたけれど、一般読者でそんなものに興味のある人など、いそうもないと思ったので、やめにしておいた。でもあの解説が面白いとしたら、それはラカンの議論が面白いのである。
ラカンを読む人間は「ジョナサン・スクリブナー」のような作品が好きだ。ラカンの専門家でいちばん有名な学者の一人ジジェクは「否定のもとに留まりながら」という著作を「ブレードランナー」の話からはじめている。あれは人間としての記憶を植え込まれたレプリカントの物語だ。自分の核心にある最も内密な記憶さえ、人工的なものであったことを知り、レプリカントは涙をこぼす。彼らの主体性の内実はゼロなのだ。この映画と「ジョナサン・スクリブナー」がどうつながっているのか。この小説の登場人物もみな「作者」によってつくられた人々だ、という点で両者はつながっている。彼らもレプリカントなのだ。主体性の内実がゼロであるという考えは、ラカンの議論の一つのキモになっているのだが、こういうことを扱った作品をラカン派の人々はよく取り上げる。
ただ「ブレードランナー」の場合、登場人物のだれがレプリカントであるか、ということは明示されている。「ジョナサン・スクリブナー」の場合、登場人物のだれが「登場人物」であるかということは、ある読解操作を経なければわからない。ここは大きな違いだ。
じつをいうと、わたしは以前にもこのような読解をこころみたことがある。「ドールズ」というスチュアート・ゴードンが監督した映画を解釈した際にも、全く同様の手続きを経て、表面的な物語の背後において別の物語が展開していることを示したのである。(こちらの記事)
このような読解操作で肝心なのは、ある人物を通して他者が語っているという語りの構造(おそらく作者自身も気づいていない無意識の構造)を見抜くことである。「ジョナサン・スクリブナー」の場合は「語り手」を通して「作者」が語っている。「ドールズ」の場合はジュディを通して「母親」が語っているというように。これに気づけば作品構造の奇妙なゆがみも見えてくる。そして推理小説のような読解が可能になる。わたしはこのテクニックを「わたしが語るとき、問うべき質問は、誰が語っているのか、そしてどこから」という言い方でまとめている。
第二に気をつけるべき事は、背後から語っている存在が、作中に登場するとともに、作品のフレームワークともなっている点である。ジョナサン・スクリブナーは作中人物だが、その作品を形作る作者でもある。「ドールズ」の場合、母親は作品の中でその存在を言及される人物だが、同時に物語全体にその欲望を染み渡らせている存在でもある。あの映画はじつは彼女の夢なのだといってもいい。本来ならメタレベルに存在するものが、オブジェクト・レベルに混入している、あるいは階層性が維持されない、ある種トポロジカルな(内側外側の区別がないクラインの壺のような)作品構造を見抜かなければならない。
この推理小説的読解法には考えるべき事がたくさんある。テキストと無意識の関係とか、無意識と推理小説という形式の関係とか、物語とフレームワークの関係とか、テキストそのものに潜む階層性とかである。いずれも大問題に突入するだろう。わたしもじわじわと考えてはいるのだが、本格的にそこにいくまえに、もう二三作、この読解の通用する作品を見つけたいと思う。「ドールズ」のような単純なホラー映画にすらこの構造が見つかるのだから、たぶんわたしには見えていないだけで、かなりの数の作品があるはずだ。
つづく
Tuesday, December 3, 2019
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