今度アマゾンから出そうと思っているのはルネ・フュレップ=ミラーの戦争小説 The Night of Time である。ルネ・フュレップ=ミラーを知っている人はドイツ文化の専門家でもないかぎり、いないだろう。オーストリア生まれで、本職は文化史研究家である。しかし彼の小説は英語に翻訳され、非常に高い評価を得た。第一次世界大戦は、すべての戦争を終わらせる戦争と呼ばれたが、彼の小説は、すべての戦争小説を終わらせる戦争小説と称された。実際読んでみると、多少冗長な部分がなきにしもあらずだが、シュールな描写でありながら、奇妙にリアルさを感じさせる面白い作品だった。しかもわたしがこのところ考えている問題がこの作品の中でも問われていると思った。それはトポロジカルな反転の問題である。
こんな場面がある。主人公の兵士アダムはドロヒッツという街への行軍の最中に、仲間とそこにある娼館の噂話をする。この娼館にはルドミラという有名な女がいて、その胸は軍隊が行進できるほど大きいのだと云う。
このときに反転が生じる。軍隊の行軍はメビウスの帯の上を行進しているかのように、いつの間にか反転して、異なる領域へ通じてしまうのだ。(これは今日出海の「山中放浪」でも起きている)
アダムが所属する大隊は最高司令部から「三一七高地へ援軍の部隊を送れ」という指示を受ける。そしてアダムのいる中隊がその任に当てられるのだ。この三一七高地というのが「敵の攻撃を自分にひきつけ、味方の別部隊が敵陣を襲う準備ができるまで、耐え抜く」という命令を受けている。
精神分析を知っている人なら、娼館の話は「欲望」の領域に属するが、敵の攻撃を絶えず引きつけ(自分らを殲滅せんとする敵の欲望を絶えず引き出し)かつそれをそのたびに(反復的に)挫折させるのが任務である三一七高地は「欲動」の領域になることがわかるだろう。つまりアダムは「欲望」の領域から「死の欲動」へと移行(反転)する。
火野葦平の「青春と泥濘」にも、頭を失っても動き回るアリという形象のなかに死の欲動が描かれていたが、ルネ・フュレップ=ミラーはこの小説のなかで、それを真っ向から主題化しようとしている。フロイトは第一次世界大戦に参戦した兵士達のPTSDを調べて「死の欲動」を考えたが、ルネ・フュレップ=ミラーはそれを小説の形で考察しようとしているのではないか。(彼は第一次大戦の際、ロシア戦線に従軍している)そういう作品なら訳す価値は十分にあるだろうと、そう思った。
シュールな戦争小説といえば「カチアートを追って」という名作がすぐに思い浮かぶが、本作もそれに負けないくらい興味深く、考えさせる力を持っている。しかも今ではほとんど完全に忘れ去られた作家なので、埋もれた名作に焦点を当てているわたしのプロジェクトにはぴったりの作品だ。できれば三月中に出したいと思っているが、そのへんはよくわからない。
Sunday, February 23, 2020
独逸語大講座(20)
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