久しぶりに読むドック・サヴェッジものである。
世界中に隠然たる勢力を誇る、とある女陰謀家から依頼を受け、ドック・サヴェッジは、これまた陰謀家であるイトルという男の秘密の計画に手を貸すこととなる。この計画がいかなるものかは、物語の進行とともに明らかになる。読者はなにが起きているのかを、読み進むうちに知るわけだ。(ほとんど最後の部分にいたってようやく全貌が判明する)
物語の背景が最初に確立され、それから事件が起きるという書き方ではなく、物語の軸あるいは方向性が与えられることなく事件が進展していく。いわば読者は上下左右の区別がない、無重力空間に放り出されたまま事件の展開を見守らなければならない。こういう書き方は、ジャンル小説においては、だいたい1940年代に現れだした。善悪の区別が判然としないノワールの出現とほぼ軌を一にしている。
「キング・ジョー・ケイ」におけるこの物語形式は、じつは内容を反映している。ネタバレになるけれども、要するに、世界中の航空会社が空の覇権を握ろうと勢力争いをしているのである。この勢力争いがイトルという男の秘密の計画に関係しているのだ。ギャングの場合だろうと航空会社の場合だろうと、勢力争いというのは意味付けの軸を定める争いの謂いである。意味付けの軸が確立する前の混乱した状況、それが物語の形式にもあらわれているのだ。
人によっては本作をドック・サヴェッジものの最高傑作と呼んでいる。確かにアクションと謎がうまい具合に折り合わされ、退屈する暇がない。(いったいドック・サヴェッジはいつ寝ているのだろうか?)
しかしわたしはこの作品をあまり評価しない。なぜならドック・サヴェッジも航空会社のオーナーであって、この物語は結局のところ、彼がライバル会社の悪だくみを暴くというものでしかないからである。ドック・サヴェッジの冒険は、自社の権益を守るためのものでしかない。しかも彼は弱肉強食、生き馬の目を抜くこの業界の中で「ホワイト・ナイト」と呼ばれているという。なんだろう、この言い方は。資本主義において「ホワイト・ナイト」など存在するのだろうか。パルプ小説であってもこの認識の浅さにはあきれ返る。
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
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