言語学者のソシュール、経済学者のマルクス。わたしはどちらも大好きだ。なぜならソシュールはいつも言語に対して驚き、マルクスは貨幣の謎に魅了されていたから。彼らが残した書き物(ソシュールの場合は彼の学生が書き残した講義録)を読むとそれがよくわかる。
ソシュールは変化する言語のとらえどころのなさについて「人間が使うものなのに、人間とは違うべつの生き物みたいだ」と云っていた。彼はそのことをいろいろな箇所で、言葉遣いを変えながら繰り返し述べている。そしてその不可解な言語について思考するなかで、決定的に重要な認識をわれわれにもたらしてくれたのである。
彼は年老いてから頭がおかしくなり、アナグラムにこり出したなどと考えられているけれど、わたしは断然違うと考える。彼はあいかわらず言語の不可解さに取り憑かれていた。だから奇怪な研究にのめり込んだのだ。
マルクスは経済の仕組みを理解し尽くした地点から「資本論」を書いているわけではない。どんなに考えても謎だから書いたのだ。
「一つの商品は、見たばかりでは自明的な平凡な物であるように見える。これを分析してみると、商品はきわめて気むずかしい物であって、形而上学的小理屈と神学的偏屈にみちたものであることがわかる」
「商品世界のの中における貨幣の存在は、動物世界の中でライオンやトラやウサギやその他全ての現実の動物たちと相並んで「動物」なるものが闊歩しているように奇妙なものだ」
ところが後代の研究者たちはなぜかソシュールやマルクスの大本にある驚きを消し去ってしまおうとする。わたしはそれが不満でならない。言語も貨幣も文学作品も、こんなに不可解なものはないだろうに。
Friday, March 13, 2020
独逸語大講座(20)
Als die Sonne aufging, wachten die drei Schläfer auf. Sofort sahen sie, wie 1 schön die Gestalt war. Jeder von ihnen verliebte sich in 2 d...
-
19世紀の世紀末にあらわれた魅力的な小説の一つに「エティドルパ」がある。これは神秘学とSFを混ぜ合わせたような作品、あるいは日本で言う「伝奇小説」的な味わいを持つ、一風変わった作品である。この手の本が好きな人なら読書に没頭してしまうだろう。國枝史郎のような白熱した想像力が物語を支...
-
昨年アマゾンから出版したチャールズ・ペリー作「溺れゆく若い男の肖像」とロバート・レスリー・ベレム作「ブルーマーダー」の販売を停止します。理由は著作権保護期間に対するわたしの勘違いで、いずれの作品もまだ日本ではパブリックドメイン入りをしていませんでした。自分の迂闊さを反省し、読者の...
-
パット・フランクのこの小説は日本ではなぜか翻訳が出ていないが、デイヴィッド・プリングルがSF小説百選のリストにも入れた名作である。 まず時代は1959年。場所はフロリダのフォート・リポーズという小さな町だ。主な登場人物は、フォート・リポーズに住むランディ・ブラグという三十代の男と...