Friday, March 27, 2020

無観客試合

二十世紀前半のスペイン風邪と、大恐慌が一度にやってきたみたいな時期なので、時事ネタを扱えばいくらでも記事が書けそうだ。しかしこういうときこそ逆に落ち着いて考えなければならない。事態はパニックに陥るにはあまりにも深刻すぎる、とスラヴォイ・ジジェクも語っていた。

昨日、プロレス興行も無観客試合をしてはどうかと書いたが、プロレスリング・ノアは行政的な要請もあって実際に二十九日に無観客試合をやるようだ。おやおやと思っていたら、なんと全日本プロレスもチャンピオン・カーニバルの初戦を無観客でやることになった。

昨日も書いたように、無観客自体はそう悪いことではない。普段は雑音で聞こえない音や息づかいが聞こえ、試合は迫力を増すかも知れない。カメラの眼はあるものの、完全に選手たちだけといっていい世界で彼らがどんな振る舞いを見せるのか、ある意味で純粋な「プロレス」が見られるのではないか、「プロレス」のあらたな魅力が垣間見られるのではないか、などと、わたしは期待している。文学や芸術においても、きびしい検閲の中で、逆に創造性が発揮されるという例は数多くある。もちろん無観客や検閲が望ましいなどというわけではないのはもちろんだけれど。

政府はメルケル首相のように「われわれは文化事業の重要性を忘れてはいない、活動に従事する人々を全力で支援する」と力強いメッセージを出し、その体制を急遽ととのえなければならないのだが……。

関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)

§4.  Solch ein kleines Kind weiß von gar nichts. そんな 小さな子供は何も知らない。  一般的に「さような」という際には solch- を用います(英語の such )が、その用法には二三の場合が区別されます。まず題文...