ミステリは物語批判だ。
たとえば夫婦愛の物語を考えてみよう。妻は病弱で伏せていることが多い。夫はかいがいしく彼女の世話をし、いろいろと忠告をする。インフルエンザが流行っているから電車に乗らず、タクシーに乗れ。生水や生の食品は身体に良いからたくさん食べろ、などなど。妻は夫の気遣いを感謝し、自分はなんて幸せな女だろうと思う。結局彼女は死んでしまうが、自分は愛に包まれた人生を過ごせたと満足し、安らかに息を引き取る。
うるわしい愛の物語。メロドラマだ。
けれどもここに探偵が登場する。彼はこの愛の物語をひっくり返してしまう。
つまり夫は今、別の女と結婚しようとしているが、彼は前妻が存命の時から彼女とつきあっていたではないかと云うのである。この事実が物語を反転させる機動力となる。電車ではなく、タクシーに乗れと言ったが、しかしあの頃タクシーは頻繁に事故を起こしていたではないか。じつは電車よりもタクシーに乗るほうが危険ではなかったか。生水や刺身などはチブスになる危険性があるではないか。亡くなった妻の健康状態を考えると、生水を勧めることは賢明ではなかったのではないか、という具合だ。彼の行為、妻が夫の愛のあらわれだと思っていたすべては、あわよくば妻を亡き者にせんとする策略・陰謀だったのである。
ミステリはこんな具合に物語を反転させる。(ちなみに上の物語は谷崎純一郎の「途上」である)この意味においてミステリは物語批判なのだ。
もうちょっとだけ考えを推し進めよう。
上の事例で物語を反転させる機動力となった事実、夫には以前から愛人がいたという事実。これはうるわしい愛の物語の内部には決して存在してはならない要素である。それが姿を見せた途端に愛の物語は崩壊する。
しかしあたかも夫が妻を愛しているかのごとく振舞っていたのは、その事実があるからなのである。愛人がいるからこそ、親切ごかしの忠告を、しつこく繰り返していたのだ。妻はうっかりそれを自分に対する夫の愛と考えてしまった。
愛人がいたという事実は、愛の物語を破壊する要素でありながら、愛の物語を背後から支えている。それは愛の物語を構成しているにもかかわらず、そこから差し引かれなければならない余計な要素である。まさしくこれがラカンの言う対象aだ。
わたしが考えているトポロジカル・リーディングは対象aに関わっている。
Saturday, May 2, 2020
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(16)
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