タイトルに挙げたのは、ジジェクが昨年出した本だが、これは彼の本の中でも異様な印象を与える哲学書だと思う。ほとんど性急なまでに哲学的問題に答を与えようとしているからだ。
ジジェクは要約がうまい。デリダやメイヤスーやバデューらの議論を簡潔に見事にまとめてみせる。抜群の情報処理能力だ。しかしそれに対する彼本人の議論は、デリダやメイヤスーやバデューとの相違点はよくわかるものの、それからさらに展開していくとき、どことなく茫洋とした印象を与える。終点が見えないような議論になっている。なにか腑に落ちきらないものを宿している。
ところが本書では、彼は最初から輪郭のはっきりした、明快な議論を目指している。確かにインターネット上に散乱する彼の講演の録音を聞くと、最近は存在とか死とか超越といった哲学的な問題にしっかりした答を出したいと言っているのだが、しかし本書でこれほどラディカルに議論を進めているとは思わなかった。彼の議論の曖昧さに悩んできた人には必読の本となるだろう。
わたしがとくに注目したのは、主体の問題をトポロジー的に説明した、本書の中ほどの部分である。トポロジカルな読解について考えているわたしにとっては、目もくらむような面白さだった。類概念と種概念の話しは何度も読んだり講演で聴いたりしていたのに、今回この本を読んではじめて自分が考えていることとの関連性に気がついた。
最後のほうで無神論について語られた部分は正直よくわからなかった。わたしは「悪魔の悲しみ」を訳したとき、他者を通しての信仰というおかしな現象に気が付いた。ジジェクもおなじ問題について、わたしよりはるかに突っ込んだ議論をしているようなのだが、全体としてすとんと腑に落ちるような論述にはなっていないと思う。それまでの記述は自分の考えをシステマチックに明示しようとする意志に貫かれているのだが、ここはそれがうまくいっていないようだ。わたしの頭が悪いのか、ジジェクがまだ十分に思考を展開しきっていないためにわかりにくさが生じているのか、なんともいえないところだ。しかしところどころはっとさせられる意見がちりばめられている。
今までジジェクが書いてきたことを再説している部分もたくさんあるが、自分の考えに決然と体系性を持たせようとした本書は、ジジェクの後期の代表作となるかもしれない。
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

-
アリソン・フラッドがガーディアン紙に「古本 文学的剽窃という薄暗い世界」というタイトルで記事を出していた。 最近ガーディアン紙上で盗作問題が連続して取り上げられたので、それをまとめたような内容になっている。それを読んで思ったことを書きつけておく。 わたしは学術論文でもないかぎり、...
-
今朝、プロジェクト・グーテンバーグのサイトを見たら、トマス・ボイドの「麦畑を抜けて」(Through the Wheat)が電子書籍化されていた。これは戦争文学の、あまり知られざる傑作である。 今年からアメリカでは1923年出版の書籍がパブリックドメイン入りしたので、それを受けて...
-
63. I don't know but (that /what) 基本表現と解説 I don't know but that he did it. 前項の Who knows の代わりに I don't know とか I cannot say ...