Friday, June 12, 2020

関口存男

関口存男は語学がよくできただけではなく、自分で考えようとする、珍しい日本人だった。それは彼の冠詞の研究などを読むとわかる。対象を徹底的に観察し、独自の直感でもって複雑さの中に規則性を見いだしていく。これがあらゆる思考の基本なのだけれど、それが出来る人は数える程度しかいない。斎藤秀三郎は英語の達人と言われたけれど、関口のような思考力には恵まれてなかった。

また関口は翻訳家としても優秀だった。さすがに古めかしさはあるが、わかりやすく言葉に生きのいいリズムがある。つぎのような訳文などはなかなか書けるものではない。

結構ではござるが完全とは申し難い。総じて人の命は短いと致したもので、人一代の間に凡ゆる場合が生じる訳のものではござらぬ。我等の究むる法典は取りも直さず左様な場合の数数をば幾世紀の長日月に亙って蒐集致したものに外ならぬ。それに人間の意志、意見と申すものは絶えず動揺致して居るもので、今日甲なる人間が之を正しと見做すとも、明日は乙なる人間が誤れるとなし、斯くては紛糾を醸し理を曲ぐるの弊を免れ難きにより、其処を定めるのが之れが法律と申すもので、法律は万世不易でござる。

関口の訳業は国立国会図書館のデジタルライブラリでもいくつか読める。

最近、関口の文法書がネット上に pdf で出回っていることを知り、びっくりした。「独逸語大講座」全六巻や「新ドイツ語大講座」全三巻が読めるのである。前者はドイツ語が髭文字で印刷されているのでとっつきにくいかもしれないが、後者はラテン体を使っているので初学者にはうってつけだろう。もちろん最新のドイツ語とは綴りや用法に異動があるが、それはあまり大きな問題にはならない。

関口の語学書を読んで、なんだか電子化してみたくなった。「独逸語大講座」も表記をラテン体にすれば読む人も増えるのではないか。なにしろこの本には初学者にとって有益な、豊富な読み物がついている。

というわけで近々、関口の著作のデジタル化をはじめるかもしれない。

独逸語大講座(20)

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