本書の作者はサミュエル・シェラバージャー(1888ー1954)という、歴史小説書いて有名になった人だ。びっくりするくらい筆が立ち、中世のイタリアやスペインの雰囲気がページから立ち上ってくるようなすごい文章を書く。Captain from Castile と The Price of Foxes はベストセラーになり、映画化もされた。
シェラバージャーはミステリも書いていて、そのとき使ったペンネームがジョン・エステヴァンだ。つい最近、fadepage.com から彼の最初のミステリ「死のドア」のテキストが出たので興味津々読んでみた。ちなみにジョン・エステヴァンのミステリはおそろしく入手困難。
物語はこんな具合にはじまる。
エイムズ医師はエレナ・グレアムの招きに応じてグレイハウスというお屋敷へ行く。そこにはエレナの妹シーリアが住んでいるのだが、エレナによると彼女の様子が最近おかしいのである。エレナはエイムズ医師に客を装って彼女を観察してもらい、精神に異常をきたしていないかみてもらおうと考えていた。
確かにシーリアは謎めいた言葉を発し、奇矯な印象を与えた。しかしエイムズ医師とエレナが対策を講じる余裕はなかった。シーリアはその日の晩に殺されてしまったからである。
エイムズ医師はさっそく友人の探偵ノースを呼ぶ。そしてノースは、その日の晩出かけていたシーリアの夫、フランシス・バリオンを探す。ところがフランシスの所在がわからない。後刻、フランシスはグレイハウスに戻ってくるが、犯行があった時刻の前後に彼がなにをしていたか、フランシスは説明することができなかった。
フランシスとシーリアは最近、金銭問題でいがみあっていたし、夫が妻の財産を目当てに人殺しをはたらいたとも考えられる。夫の容疑は濃厚だ。しかし明敏なる探偵ノースはフランシスを犯人ではないと考え、妻の葬儀の準備のために彼を次の一日、自由に行動させてやる。
ところがその次の日になって、フランシスは姿を消す。あとには犯行を認める彼のメモが残っていた……
こんなふうに筋だけを話してもこの作品の面白さ、すごさを紹介することにはならない。本書でいちばん不気味なのはグレイハウスという屋敷そのものである。中世イタリアの建築様式を持つこの家は、まさに中世イタリアの精神を宿しているのだ。かつてその時代においては情熱と欲望が烈しくうずまき、人々は殺し殺され、一族が全滅しそうにまでなった。そんなけばけばしく、どぎつい情念がそこには保たれていて、そこに住む人々を変えていってしまうのである。
エイムズ医師、エレナ、そしてフランシスの弟であるカールが召使いたちにかしづかれてこの屋敷に寝泊まりするようになるのだが、彼らはしだいに性格が変わっていく。おとなしく控えめなエイムズ医師さえ情熱的になり、ほとんど理性を失ったかのように行動しはじめる。このあたりの変貌、そして狂気に近い情念の描写がじつに迫力に満ちていてすばらしい。
ただ一人、この情念のお芝居から距離をおいているのが探偵のノースである。わたしは何度も書いているけれど、探偵は本質的にメロドラマの外部に存在している。探偵小説は十九世紀のメロドラマから派生してきたが、しかしメロドラマを否定したところに成立するのだ。
しかしノース探偵は外部からメロドラマを冷たくみているわけではなく、その不可解な力、過去からずっと引き継がれ、消えてなくらない人間の情念の力を認めている。彼はそれこそが事件の真犯人であり、情念に振り回されて行動した人々は(犯人も含めて)この強力な意志の操り人形にすぎないのだと言う。さらに彼は、それは過去を模倣して造られたグレイハウスに残存している古い時代精神なのかもしれないと言う。「我々も同様に我々の時代の操り人形だ。そして我々の時代の光によって我々は判断される」
こう考えるなら、探偵を「神の如き」などと形容するのはまちがいだとわかるだろう。探偵は「すべて」を超越した地点にいるのではない。事件の外に立っているかも知れないが、時代精神まで越えているわけではない。もしも事件がなんらかの形で時代精神そのものにかかわるものであるなら、探偵はその外部に立つことが出来ず、事件を解明できない可能性もあるのである。もちろん後になって時代と時代精神が変わり、事件の外部に立つことが可能になれば、事件を解明する探偵が出て来るかも知れないけれど。
もちろんある時代精神に呑み込まれていたとしても、ノース探偵のように「我々は我々の時代の操り人形」という認識を持つことは出来る。認識において時代を超え出ることは可能だ。これは時代精神が絶対的なものではなく、いつの時代精神も内部に亀裂を抱えていて不完全だから、このような認識が可能になるのである。それなら探偵が時代の亀裂に位置しているなら、時代精神にかかわる事件でも、探偵は見事に推理することができるだろうと思われるが、しかしどうだろう。この亀裂の位置は徹底した否定性の位置なのであって……。
ううん、よくわからない。しかし「死のドア」はこんな具合にわたしに考える糧を与えてくれた。毛色の変わったミステリとして一読に値すると思う。