Thursday, November 12, 2020

ジョー・バイデンを歓迎する

 ドナルド・トランプ大統領への第一の不満は、彼が文字をまったく読まないことである。言語能力の欠如という点に於いて日本の首相と同類なのだ。オバマ大統領時代には大統領が夏休みを取る前にホワイトハウスから彼が休暇中に読む本のリストが発表された。彼が本屋を訪ねて本を買う姿も報道されていたものだ。トランプ大統領になってその伝統は消えてしまった。彼はゴルフしかしないからである。

 しかし来年は大統領の読書リストが再び発表されるだろう。なにしろバイデン氏はシェイマス・ヒーニーの詩をしきりと引用する人だから。

 シェイマス・ヒーニーは二十世紀のアイルランドを代表する詩人だ。いや、二十世紀の詩の世界を代表するといってもいいだろう。わたしは大学生の時に彼の詩を読み始めたが、とりわけ Digging という詩が印象深く記憶に残った。詩を書くという営みを農作業である「掘る」「耕す」という行為にたとえたもので、その奇妙さと、しかしそのようにして詩を書くことへの真剣な覚悟の口調に気圧された。

 彼は華やかなレトリックを駆使するような詩人ではないが、つねに波乱に満ちたアイルランドの政治状況に向き合いながら詩をつくった。彼が古代神話を主題に取り上げるときも、そこには現代の政治に対する視線が感じられる。バイデン氏はヒーニーの政治的視線に敏感に反応する読者だと思う。

 アイルランドの RTE はバイデン氏が大統領選に勝利した晩、ヒーニーの詩劇 The Cure at Troy からの一節を、バイデン氏の朗読で流した。バイデン氏が自覚するおのれの政治的課題とヒーニーの詩的なビジョンがみごとに重なって感動的な朗読となっている。

 誤解を避けるために強調しておくが、わたしは文学好きの指導者を好むといっているわけではない。詩人=指導者というのはときに最悪の政治家になりうるからである。事務能力がないとかいうことではなく、純粋とか同一性といった観念に囚われて、虐殺や殲滅行為に走ることもあるからだ。それは戦時中の日本の美学を見れば容易に理解されるだろう。文学研究がなによりもまず文学批判でなければならない理由がここにある。

 しかし理想を持って政治に取り組む人物が指導者に選ばれたことは一応慶賀すべきことである。わたしはバーニー・サンダース氏を支持していたが、しかしバイデン氏はクリントン氏などよりもはるかにましな人物であると思っている。

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