ジジェクは第二の死(セカンド・デス)という概念を唱えている。もちろんラカンの教えの中から引っ張り出してきたものだ。普通人間は死ねばそれまでである。ところがフロイトが示しているように、夢の中では死んでいるのに、死んでいることに気づかず生きているように振る舞う人間が登場したりする。自然の法則に違反した活動をする存在が登場するのである。この存在が自分が死んでいることを知り、本当に死ぬ瞬間がセカンド・デスである。
「トムとジェリー」みたいなマンガでは、崖を越えてもまだ地面があるみたいに空中を歩く登場人物があらわれる。ところがその人物がはっと気づいて下を見ると彼は空中に浮いている。気づいた瞬間、彼は自分が自然の法則に従わなければならないことを思い出し、落下するのである。これもセカンド・デスの一種だ。
ジジェクによると、ヘーゲルの「歴史に於ける反復」もセカンド・デスを意味しているらしい。ナポレオンがエルバ島に追放されたとき、彼の歴史的な役目は終わった。しかしナポレオンはそのことに気づかなかった。それに気づくにはセカンド・デスが必要だった。つまりウオータールーでの敗北である。
いつの頃からか盛んにゾンビ映画が作られるようになったが、このゾンビというやつも死んだことを知らない死者である。彼らを本当に死者たらしめるには、二度目の死を与えてやらなければならない。
セカンド・デスはなかなか面白い概念で、その意味するところはもっと深く考えられるべきだろう。トランプ大統領のいまの振る舞いは、そのよいきっかけになるのではないだろうか。
すなわち彼は選挙で敗北した。彼は象徴的な意味での死を与えられたのである。ところが彼はまだ自分が死んだことを知らない。だから裁判を起こしたり必死で抵抗をしている。しかし彼は必ず二度目の死を与えられ、自分が死んだことを認めざるをえなくなるだろう。われわれはセカンド・デスの実例を目の当たりにするわけだ。この概念について考える絶好の機会というべきである。同時に精神分析というものが個人の内面を問題にするだけでなく、社会批判としても有用な道具となりうることを確認するよい折りになるのではないかと思っている。