Thursday, December 17, 2020

エリザベス・サンクセイ・ホールディング「掻き消されて」(1926)

ムンゼイ誌1926年九月号に掲載された短めの小説。

ジェイムズ・ロスはマニラで長年働いた後、祖父の遺産を受け継ぎ、久しぶりに故郷のニューヨークに戻ろうとする。故郷とはいっても知り合いは一人もおらず、ジェイムズはニューヨークに向かう船の中で、なにものにもとらわれない自由を満喫していた。船の中で彼の人柄に目を付けたミセス・バロンがしきりに話しかけようとするのだが(娘フィリスの婿にぴったりだと考えたのだ)、彼は巧みにそれを避ける。

船がニューヨークに着き、彼が下船しようとしていたそのとき、不思議なメモがパーサーによって届けられる。宛名は彼の名前になっているが、内容は明らかに誰か他人にあてて書かれたものなのだ。そんなメモ書きは捨ててしまってもいいのだけれど、内容の差し迫った口調のせいで、彼はニューヨークのホテルに投宿したあと、そのメモを送り主に返そうとする。

ジェイムズはメモに書かれた住所を探し当て、メモの送り主エイミイ・ロス・ソルウエイに出会う。そして束の間、一人居間に残されたとき、彼はソファの下から男の手がのぞいていることに気づく。その部屋には死体が隠されていたのだ。その瞬間から彼の人生が奇妙に狂いはじめる。

ジェイムズ・ロスが自由であるということ、ニューヨークにおいて知人友人のたぐいが一人もいないということは、彼がニューヨークという間主観的ネットワークのどこにも位置していないという意味である。彼はニューヨークに着いたらさっそくある法律家のもとへ行くはずだった。そこで彼が遺産相続人であることを認められ(すなわちネットワーク内に位置を与えられ)、金を得、世の中へとのしていくはずだった。ところが一通のメモ書きが彼の人生をまるきり別の方向へと導くのだ。

このメモ書きには二つの奇怪な特徴がある。第一にこれは当初誤配されたものであるかのように思われたが、物語が進展し人物関係が詳細に判明するに連れ、単に誤配とは言えないものであることが明らかになる。誤配は誤配なのだが、メモの本当の受取人も誤って受け取ったジェイムズも、いずれも差出人のいとこなのだ。きわめて微妙な行違いが生じたが、メモが届けられた先は、まんざら間違いというわけではない。この、誤配のようで誤配ではない、偶然のようで偶然ではないという、不思議な存在論的ステータスを、このメモは持っている。

第二に、このメモ書きはジェイムズの人生を狂わせると同時に正しい方向にも導く。彼はメモ書きが引き起こした出来事の連鎖の結果、名前を変えてメモの差出人エイミイの義理の父、ニューヨークの金持ちビジネスマンの運転手になる。彼は自分が運転する車のなかで、このビジネスマンが株取引の話をしているのを聞きながら、自分はまさにそうした話をするためにニューヨークに来たはずなのにと思う。彼は夢に描いていたのとはまったく正反対の境遇に陥ったのである。しかも彼はメモの差出人の名誉を救うために、なんと死体となってソファの下に転がっていた男とアイデンティティーを交換してしまうのだ。彼は財産をすべて失い、その全額がメモの差出人である身勝手で愚かなエイミイのものとなる。

しかしその過程においてジェイムズは責任というものを学ぶのだ。物語の最初、彼は自由を満喫していた。それはいかなる関係性ももたず、一切の責任を逃れているからこそ味わえるものだった。が、一連の事件ののち、彼は責任を引き受けようとする。とくにエイミイが秘密の結婚で生んだ子供をみずから養育しようと決意する。そして物語の冒頭ではなんとなく避けていたミセス・バロンの娘フィリスが、いかにしっかりした考えを持つ、すばらしい女性であるかということに気づく。つまり誤配されたメモは金銭的な意味では彼を破滅させたが、そのかわり彼の人生や人を見る目を鍛えたということになるだろう。

物語の最後でジェイムズはミセス・バロンの家へ行き、一文無しの彼が子供を育てるために援助をしてほしいと頼む。ミセス・バロンは彼を見るなり、たちどころに彼になにが起きたのかを言い当てる。

「あなたは一文無し、知り合いもまるでいない、しかも小さな子供の養育を押し付けられたというわけね。驚かなくてもいいわ。わたしにはよくわかっているんだから。その子は自分勝手な、心無い、破廉恥な人々に押し付けられたんでしょう! さ、なにがあったのか、詳しく話して」

そして彼の性格の強さははじめて見たときからわかっていた。だから娘の婿にしようと考えたのだ。仕事が必要なら夫がなんとかしてくれる、と実に親切に協力の手を差し伸べるのだ。さらにそこへ娘のフィリスが登場し、なんとジェイムズと彼女は挨拶の握手をしたなり、そのまま我を忘れてお互いを見つめ合う。普通の小説だったらこんなエンディングは陳腐で、くさくて、思わず鼻白んでしまうが、この作品の場合はジェイムズがあまりにも悲惨な状況に落ち込み、読んでいるこっちまでが茫然としてしまうせいだろう、最後に与えられた希望の光に、わたしはほっとため息をもらした。

話の展開はかなり強引だが、ある種異様な印象を与える、ホールディングならではの作品だった。


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