Friday, December 18, 2020

ジョン・ル・カレのスパイ小説

ジョン・ル・カレが亡くなって追悼の特集が各種新聞の文芸欄にあらわれた。それを読んで不満に思ったことがある。どの特集でも007のような娯楽小説がル・カレの登場によって成熟した文学的表現にまで高められたとクリーシェのように言われているのである。

確かにル・カレの「寒い国から来たスパイ」は画期的な作品だった。あれでスパイ小説というジャンルが一気に見直された。しかしスパイ小説は生まれてから徐々にその成熟の度を加えて行き、ル・カレの登場の舞台を用意してきたのである。フレミングの007ものだって、成熟のための重要な一歩だった。粗悪な映画版だけを見てフレミングを評価してはならない。フレミングはそれまでのメロドラマ的な書き方を排し、極上のジャーナリスティックな文章で、「乾いた」書き方をスパイ小説に導入したのだ。ル・カレは完全にその流れを継承している。フレミングとル・カレのあいだには断絶があるのではなく、連続があるのだ。

さらに文学的な成熟度を言うならエリック・アンブラーやグラハム・グリーンの功績も忘れてはならない。彼らがいなければル・カレが存在したかどうかもわからないくらい重要な作家たちではないか。また、ル・カレのある種の緻密な文章はジョン・バカンやアースキン・チルダースから続く伝統を受け継いだものである。

雑な言い回しを用いると話はわかりやすくなるかもしれないが、大切な真実も掬い取られないまま終わってしまうものだ。ル・カレのような巨匠を正しく評価するとは、過去を、そして未来を正しく評価するということにほかならない。

追記

これを書いた後、ガーディアン紙にウィリアム・ボイドの追悼文があらわれた。そのタイトルは John le Carre didn't invent the spy novel -- he joined a tradition and made it new again である。まったくその通り。ボイドもクリーシェのようなル・カレの評価に反発をおぼえたのだろう。

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