Friday, January 15, 2021

ジョン・ラッセル・ファーン「ネビュラX」(1950)

ジョン・ラッセル・ファーンはウエスタンや犯罪小説やSFを多数残したイギリスのパルプ作家だ。本作はSFなのだが、人間そっくりのエイリアンが人を殺しまくるので犯罪小説のようにも読める。

ランス・バーレイが高圧電流を利用する物質変換機を使っていたところ、突如変換機の内部に半裸の若い女があらわれた。びっくりして同僚と彼女を外に引っ張り出すのだが、意識を取り戻した女は人間の姿はしているがなんとエイリアンだった。

目の色は次々と変わるが、それを除けば魅力的な地球の女と変わらない。いったい何が起きたのか、彼女をどうすればいいのかとランスと同僚がおしゃべりをしていると、そこに実験所の所長が怒鳴り込んできた。作業がいつまでも終わらないので様子を見に来たのだ。そして裸に近い女を見て、ランスと同僚が仕事をせずにお楽しみに耽っていたものと勘違いする。おかげでランスも同僚も首になってしまうのだ。

しかし若い女を放っておくわけにもいかず、ランスは彼女を自宅に住まわせ、言葉を教える。そのうちにネビュラと命名されたこの謎の女はかつて地球人に星を滅ぼされたエイリアンで、地球人を憎み、地球を征服しようとしていることがわかった。彼女は手始めにランスの妻と子供たちを殺害する。

これぞパルプといった感じのしっちゃかめっちゃかな物語展開。しかしこの作品にはひとつだけリアリティがある。エイリアンのネビュラは恐ろしく魅力的な女なのだが、地球征服のもくろみがわかるまえから、不思議な不気味さをたたえている。この不気味さは、われわれが愛する人や隣人や親しい人に、あるときふと見出す不気味さと同じものではないだろうか。わわわれは相手をよく知っているように思っても、じつは相手のなかにはわれわれの知らない、近づき得ないある種の核があって、それに遭遇して思わず驚き、たじろぐものだ。結婚相手や親しい友人のふとした仕草、振る舞い、言葉に、この人にこんな側面があったのかと、ぎょっとしたことはないだろうか。ラカンはその不気味な核のことを享楽と呼び、芸術家もそれを表現しようと幾度も試みてきた。「ネビュラX」のXとはまさに存在の核心にある、しかし名付け得ないなにものかを指す。

もう一点、ネビュラの破壊欲求がナチズムの体験から生まれていることは間違いない。よくあることだけど、現実逃避的であればあるほどその作品は現実から強い影響を受けているものなのである。

独逸語大講座(20)

Als die Sonne aufging, wachten die drei Schläfer auf. Sofort sahen sie, wie 1 schön die Gestalt war. Jeder von ihnen verliebte sich in 2 d...