ジョン・ラッセル・ファーンはパルプ小説を書き出した最初のイギリス人の一人で、大量の作品を残しているのだが、日本では翻訳はほとんど出てないと思う。SFもミステリも、両者が混淆したような作品もある。筋立てはとびきりのパルプで、合理性とかリアリズムなど糞喰らえという内容だ。たとえば「ネビュラ」(1950)という小説に附された Linford Edition の惹き句は
物理学者ランス・バーレイは実験室にほとんど裸の女がいる理由を説明できなかった。彼にとっては重大問題だった。実験室は堅固に施錠されていたはずだからである。誰にも中に入ることは不可能。しかも発電機を動かす前に、実験室には人っ子一人いなかったのだ。ところが実験を終えて明かりをつけると……彼女がいたのだ。魅力あふれる美少女。しかし彼女は恐るべき殺人者でもあった!
パルプファンなら思わず本を手に取り買ってしまいそうな宣伝文句だ。中身も惹き句に負けないくらいチープで(この場合「チープ」というのは褒め言葉だ)、読後感は爽快であり痛快である。
「イージャックスの奴隷たち」(Slaves of Ijax)はSFで、ピーター・カーゾンという男が七百年ほど未来の世界に送り込まれ、その世界を支配しているイージャックスという神の陰謀をあばき阻止するという物語だ。
どういう陰謀なのか。イージャックスは神のような力でもって全世界の人々の心に話しかけある仕事(タスク)をやらせるのだが、じつはこの神さまは、月にいるマッドサイエンティストが天才的な科学力ででっちあげた神さまであって、世界中の人々が唯々諾々と従事している仕事(タスク)は世界を崩潰させるものなのである。ところが人々は洗脳されてしまってそのことに気づかない。それに気づいたのは七百年前の過去世界から来たピーターだけなのだ。
むろんピーターは周囲の人々を目覚めさせようと努力し、二人の協力者を得る。しかしほかのすべての人は依然としてイージャックスを信じている。はたして彼は地球を崩壊の危機から救うことができるか。
なんだか中学生向け月刊誌の付録にでもついてきそうなお話だ。イデオロギーにとらわれた人々の寓話みたいな側面もあるが、ちょっと単純すぎるという不満がある。イージャックスを信じていた人々は、ピーターがそれが陰謀であると主張すると、証拠を示したなら陰謀論を信じようと言う。そして証拠が示されるとすぐさま彼らはイージャックスが偽物であると信じてしまう。こんなことは現実にはありえない。
似非マルクス主義のイデオロギー論によると、イデオロギーにとらわれている人々はひとたび真の姿に気づくやイデオロギーを捨て去るというような議論をするが、とんでもない。イデオロギーというのは、それが瓦解する瞬間にもっとも強力な力を発揮するものなのである。アメリカのトランプ主義を見ればいい。トランプが選挙に負け社会的・象徴的役割を終えた瞬間にこそトランプ主義は絶大な力をふるいはじめた。トランプ支持者が真の姿を見せつけられた時、彼らはそれを敵の陰謀の絶大なることの証拠としてますますトランプを支持しはじめた。小説家がイデオロギーを描こうとするなら、こうした現象にこそ着目しなければならない。
作者ファーンが書いたのは単なるパルプ小説。そんな難しい認識など求めるべくもない、などと言ってはいけない。上質の娯楽小説はそうした認識の鋭さも兼ね備えているものなのである。