Wednesday, March 10, 2021

ウィリアム・マーチ「悪い種子」(1954)

ゴールディングの「蝿の王」とかレッシングの「五番目の子」とか、子供と暴力のつながりを描いた作品はどれも面白い。子供イコール無垢という図式をひっくり返すわけだが、どの作品にもその主題にたいする作者の緊張感が感じられる。

ウィリアム・マーチの「悪い種子」もその一つである。こうした作品は第二次大戦以後に目立って書かれるようになり、「蝿の王」の場合は明瞭に戦争の記憶が意識されているが、「悪い種子」にも戦争への言及がいくつか見られる。第一次大戦も悲惨だったが、ある意味では古いものの破壊、新しいものの創造というポジティブな意味も持ち得た。しかし第二次大戦は人間から無垢の可能性すら奪ったのだ。

主人公はローダという八歳の女の子だ。年齢に比して頭が良く、いろいろな点において模範的な子供なのだが、しかし彼女はそれを「演技」としてやっているのである。しかも所有欲が異常に強く、ほしいと思ったものを手に入れるためなら殺人でも犯す。

物語はまずローダが遠足に行く場面からはじまる。その遠足において彼女のクラスメイトが死亡する。このクラスメイトはお習字で一等を取り、金のメダルを先生からもらうのだが、ローダはそれがほしくてならなかった。だから彼女はこのクラスメートを遠足のあいだじゅうつけ回し、メダルをよこせと脅すのだ。しかし彼女がクラスメイトに肉体的危害を加えるところはだれも見ていない。

しかしローダの母クリスチーンはついに真相を知る。ローダはクラスメートを殺し、その犯罪の証拠となるものを隠滅しようとしていたのだ。それだけではない。ローダを憎み、彼女の犯行に気づいた男を焼き殺してしまったのである。クリスチーンは絶望し、とうとう最後の手段に訴えることとなる。

わたしは最近村上春樹の小説を読み返したのだが、彼の作品はわたしの心になんの傷跡も残さない。ウィリアム・マーチの作品は技術的には村上に劣るところもあるのだが、しかし強烈なインパクトを与える。わたしは後者のような作品が好みだ。

本作はマクスウエル・アンダーソンによって戯曲化されている。また何度か映画化もされているらしい。

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