Die Hölle
Wenn ein Japaner, sagen wir1, fünfundzwanzig2 Jahre alt wird, dann ist es eine Slbstverständlichkeit3, daß er eine Frau nimmt. Nicht so4 bei5 den Europäern. Diese6 müssen sich die Sache7 schon8 recht sehr9 überlegen10. Und mancher11 kann mit der Ueberlegung nie fertig werden12.
逐語訳:ein Japaner 日本人の男子が sagen wir たとえば fünfundzwanzig Jahre alt 二十五才の年配に wird 成れ wenn ば er かれが eine Frau 妻君を nimmt 取る(娶る) daß という es ことは eine Selbstverständlichkeit わかり切ったこと ist である。bei den Europäern ヨーロッパ人たちの場合にあっては Nicht so そうではない。Diese 後者は(即ちヨーロッパ人たちは) die Sache 此の問題を recht すこぶる sehr 非常に sich überlegen 熟考 müssen せざるを得ない。Und そして mancher [Europäer] 多くの[ヨーロッパ人]は mit der Ueberlegung 此の熟考を以て nie 何時までたっても fertig werden 埒をあかすことが kann 出来[ない]のである。
註:【1】Sagen wir: これは、何か具体的な数字を挙げたり、その他何か随意な一例を持ち出して話を具体的にする時の申しわけとして用いる句で、まあだいたい日本語の「そうですねえ……たとえば」とか、或いは「なんなら云々としても好いじゃありませんか」とか云ったような句にあたります。たとえば、甲が「此の御本をしばらくお借りしてはお困りですか?」という。乙は、「しばらくッて……いったいどれくらいですか?」という。甲は、別に何日ということは考えてはいなかったのでチョット考える。一日や二日では困るが、まさか一ケ月も借りる必要はない。だから、七日と云っても、八日と云っても、十二日といってもいいのですが、何とか決めなければ話にならないから、そこで「そうですねえ……まあ……なんなら十日間ばかり……」というでしょう。こういう時にドイツ人は auf......sagen wir zehn Tage あるいは für sagen wir......zehn Tage と云います。英語は単に say で、for say ten days と云います。say というのは、ドイツ語の sagen wir (云いましょう! 或いは:云おうではないか!)でもわかる通り、let us say を略したものです。
【2】fünfundzwanzig: 25です。数詞はどんなに長くても大抵一語につないでダラダラ書き流しにします。もし誰かが、たとえば(sagen wir です)50字の長い単語を知っていると云って威張ったら、おれはそれよりもっと長いのを知っているぞと云って、たとえば(sagen wir!)siebenhundertsiebenundsiebzigtausendsibenhundertsiebenundsiebzig (777,777) と云っておやりなさい。もっとも、こんなに長くなると、途中で一所や二所は切る方が好いのですが。――何十いくつという数字は必ず一語に書きます。
形容詞の代りに抽象名詞:Das ist eine Selbstverständlichkeit.【3】dann ist es eine Selbstverständlichkeit: これは dann ist es selbstverständlich (……当然である)と、形容詞を用いるのと全然同じです。(或いは、dann versteht es sich von selbst とも云う)――このように、形容詞を用いる代りに、その形容詞から作った抽象名詞を用いるということは、或種の場合に限ってやることですが、近代では殊に一つの洒落た言葉使いとして、英独仏とも之れを好んで用いる傾向が生じています。なんでも西洋語の調子を真似たがる日本人の気取り屋も、今に、「それは当然である」という代りに「それは当然性である」なんて云い出すかも知れません。数例:Das ist eine glatte Unmöglichkeit (それはてんで出来ない相談だ)、Die Kenntnis der Fremdsprachen ist eine unbedingte Notwendigkeit (外国語の知識は絶対に必要だ)、Zehntausend Yen sind doch keine Kleinigkeit! (一万円と云えば少々の金じゃないぜ)、Damals war eine Banane eine Seltenheit (当時はバナナなんてものは滅多にお目にかかれなかった)、Heute ist ein Eisenbahnunfall eine Alltäglichkeit (今日では鉄道惨事なんてものは日常茶飯事だ)。――恋人に向って「あなたはわたしの悦楽である」(Du bist meine Wonne!)と云ったり、「私あんな人大嫌い!」を Huh, er ist mir ein Greuel! (ペッ、彼は私にとっては戦慄である)と云ったりするのは、これは昔からある云い方です。――英語でも同様、ちょいと其の辺の新聞をひろげて見ても、Social-mindedness is a rarity in Japanese industrial circles (社会良心なんてものは日本の工業界では寥ゝたる現象である)なんて云うのがいくらでも出てきます。
常套形式となった論述用句には、定形(verbum finitum)を省くものが多い。【4】Nicht so bei den Europäern: 此の文章には動詞がありません。Nicht so (然らず!)というのが一つの常套形式なのです。Ganz anders (全然ちがう!)とも云います。――会話用句にもこんな事が多いが、また論述用句にも多い現象です。殊に、論述中にちょいちょい挿入される、内容とは直接関係のない、いわば論述の進行事務に関する用句には、こうした簡潔な事務調が好まれます:Also zur Sache! (では本問題に這入りましょう)Das Weitere unterwegs! (その次の事は途中で話そう)Das nächste Mal mehr davon! (詳しいことは此の次に!)Jetzt noch etwas von den technischen Fragen! (それからチョット技術上の問題に就て!)Nun weiter im Texe! (では其の次に移って!)Hier meine Ansicht. (次に愚見を述べる)So weit für diesmal (今回は此処まで)、So die andern Fälle alle (他の場合もすべて同様)、Dies nur zur Erinnerung (以上は一寸念の為め)、Doch still davon (然しその問題はまあ止しておこう)など。
【5】bei den Europäern: 此の bei は、ヨーロッパ人「の場合は」(然らず)という bei で、英語の with にあたります。ドイツ語でも with と同じ mit を用いても好いのです:Nicht so mit den Europäern!
【6】Diese: は、「後者」、「後に述べた方の人達」(the latter)の意で、つまり欧州人を指します。「前者」(日本人)ならば Jener (前の Japaner は単になっていますから)というでしょう。
【7】die Sache: (這般の件、此の件):英:the matter。
【8】schon: 日本語のチョット微妙な「もう……」にあたります。「ヨーロッパ人となると之れはモウだいぶむつかしくなってくる」という場合の「モウ」です。
【9】recht sehr: これは文字通りに訳すと「すこぶる非常に」という句で、recht だけは余計みたいなものですが、よく用いる慣用句です。
【10】überlegen: 熟考する、一考する。ここでは sich (三格)と共に用いてありますが、こういう場合の三格の sich には大した意味はありません。
mancher の用法【11】mancher: 同じく「多くの人」を意味する語でも viele と manche との間には多少の区別があります。まず文法的にも、manche は、只今の場合のように、単数形、すなわち単数男性(-er)の形を用いながらしかも「多くの」を意味すると云う、ちょっと man の場合のような特徴をもっています。意味も、「多く」というよりはむしろ「夥多の」といったような気持です。すなわち、「斯う斯ういう人がずいぶんいる」、「往々にして斯ういう場合がある」といったような意味の時に限って mancher を用いるのです。たとえば、「よくまぐれあたりということがある」ということを Mancher schießt ins Blaue und trifft ins Schwarze (多くの者はあてずっぽうに打って黒点にあてる)というなど。つまり、多いという意味というよりは、むしろ「稀ではない」という意味の時に mancher を用いるのです。
【12】mit......fertig werden: は熟語で、「……の片をつける」、「……の埒をあける」、すなわち或る難問を解決することを云います。たとえば Mit diesem Menschen kann ich nicht fertig werden (此の男にはまったく手を焼いてしまう)。Damit wird man leicht fertig (そんなことは手もなく片づく)。
Und wenn sie sich trotzdem13 verheiraten14? Dann kommt, was kommen muß.
„Heute habe ich in meiner Schublade15 deine ersten Briefe an mich16 gefunden, Kurt,“ sagte Anna17, „Du schreibst darin, daß du lieber18 mit mir in der Hölle leben wolltest19 als ohne mich im Paradiese20.“
逐語訳:Und そして wenn もし sie かれらが trotzdem それにも拘らず sich verheiraten 結婚する wenn としたら(結果はどうなるか)? Dann そうしたら kommen muß 来なければならない筈の was ことが kommt 来る。
„Heute 今日 ich わたしは in meiner Schublade わたしの抽斗の中に an mich わたしに宛てた deine ersten Briefe あなたの最初の手紙(複)を habe gefunden 発見しました、Kurt クルトさん“(と) Anna アンナが sagte 云った。„Du あなたは darin (in diesen Briefen) それらの中で du あなたは ohne mich わたしという者なくして im Paradiese 極楽の中で(leben 生きる) als よりは lieber むしろ mit mir わたしとともに in der Hölle 地獄の中で leben 生き wolltest たい daß と schreibst 書いています。“
註:【13】trotzdem: 「それにも拘らず」(trotz alledem とも云う)は、簡単にいうならば、単に doch と云っても好いところです。
【14】sich verheiraten: 「結婚する」。再帰動詞である点に注意。ある婦人と結婚するならば sich mit einer Dame verheiraten、あるいは eine Dame heiraten とも云います。
【15】Schublade, f.: (抽斗):は schieben (押す)と関係ある Schub と Lade (箱)とから。一名を Schubfach, n. とも云う(Fach は「仕切り」、「区切り」)
【16】an mich: 或人に宛てて、或人に向けて、という時には an と四格を用います。たとえば手紙の Aufschrift (表書)の Adressat (受信人)の名を書くときは An Herrn K. Müller とか An Frau T. Müller という風に書きます。
Anna は「アンナ」に非ず【17】Anna: 女名ですが、ちょっとした発音の点に注意。これは大部分の人が間ちがえて発音するから、特に念を入れておきましょう。すなわち Anna の最後の「ア」は最綴だということをです。誰に云わせても、Anna は必ずアンナという。Drama (戯曲)を「ドラーマ」という。Soda (曹達)を「ソーダ」という。これはみんなドイツ語としては発音の誤です:
(A)最後の開綴の -a は必ず長い:
China [ヒーナー]支那、中国 Komma [コンマー]コンマ
Europa [オイローパー]欧州 Thema [テーマー]主題
(B)-i も同様:
Gummi [グンミー]ゴム Juni [ユーニー]六月
Alibi [アーリビー]アリバイ Kuli [クーリー]苦力
(C)-o も同様:
Kino [キーノー]映画館 Zoo [ツォーオー]動物園
Foto [フォートー]写真 Auto [フォトー]自動車
(D)その他母音は全部同様:(-e を除く)
Kanu [カンヌー]独木舟 Bö[ベー]突風
(E)ただ純独逸語尾の -e だけは必ず短い:
Banane [バナーネ]バナナ Tomate [トマーテ]トマト
【18】lieber: 「むしろ」(gern に対する比較級で、もちろん副詞です)。
【19】wolltest: これは一見過去形のように見えますが、そうではなく、「接続法」という形です(第二接続法)。英の would にあたる。――云々したい、という場合には、接続法第二式[と gern]を用いるのが普通です(英の would fain にあたる):「私はあなたとお話したい」は Ich wollte gern mit Ihnen sprechen; Ich wünschte mit Ihnen zu sprechen; Ich möchte mit Ihnen sprechen.
【20】Paradies, n.: 極楽、楽園。(英:paradise)
„In der Hölle?“
„Ja, in der Hölle.“
„Mit dir?“
„Ja.“
„Na ja21,“ seufzte Kurt, „dieser Wunsch ist ja restlos22 in Erfüllung gegangen23.“
逐語訳:„In der Hölle? 地獄の中で?“
„Ja, in der Hölle. そうです、地獄の中で。“
„Mit dir? おまえといっしょに?“
„Ja. そうです。“
„Na ja, なるほどね“(と) Kurt クルトは seufzte 溜息をついた。„Dieser Wunsch その願いは ja 実に restlos 余すところなく(完全に) ist......in Erfüllung gegangen 実現したよ“
註:【21】Na ja: nun ja と同じ。na は nun に対する俗語形。――此の na ja という返事は、非常に気の無い、気のすすまぬ様を表現する返事で、或時は、「じゃァまた……」とか、また「そうだねえ……」とか、「やれやれ、困ったことだ」とか、色々な場合に用います。此処は、溜息と同時に吐き出すように na ja と云うわけです。
【22】restlos: ちょうど日本語の「遺憾なく」にあたる語。(rest は「余り」で、restlos はつまり「余すところなく」です)。
【23】in Erfüllung gehen は、「実現する」、「成就する」、「充たされる」(sich erfüllen)という意の熟語。
意訳:日本人の男子が、たとえば二十五歳ともなれば、妻君を貰うということは、むしろ既定の事実である。ところが、西洋人となると、そうは行かない。西洋人となると、此の件については相当頭をなやます。またどんなに頭をなやましても遂にらちがあかないという人すらあるくらいである。
それにも拘らず、いよいよ結婚したらどういうことになるか? そうなると愈々来るべきものが来るだけの話である。
「今日あたしの抽斗の中から、あなたがわたしに宛ててお書きになった一番最初のラヴレターが出て来たわよ、クルトさん」とアンナが云った。「その中にあなたはこんな事をお書きになっててよ:僕は、あなた無しに極楽で暮すよりはむしろあなたと一緒に地獄で暮したいと思います、ですとさ!」
「地獄で?」
「えゝそう、地獄で」
「おまえと一緒に?」
「そう。」
「ふーむ」とクルトは溜息をついた、「その念願は遺憾なく実現しちゃったよ」