エドワード・S・アーロンズを知っている人、覚えている人はどれだけいるだろうか。彼の本はハヤカワ・ミステリから五冊ほど出ているようだ。「ameqlist 翻訳作品集成」サイトで調べると、
「秘密司令ー破滅」
「秘密司令ー叛逆」
「秘密司令ー自殺」
「秘密司令ーゾラヤ」
「弁護士プレストン」
の五冊が翻訳されている。しかしすべて1960年代に出版されており、その後は再版されていないようだ。アーロンズは多作な人だが、一言でいえばパルプ作家だった。文章もあまりよくないし、物語展開もちょっと安易すぎるところがある。しかしわたしはときどきこの手の作品が読みたくなる。なにも考えず、ぼんやりと話を楽しみたいと思うときがあるのだ。
今回読んだのは「秘密司令ー東京」。架空の町、ハタシマという港町に奇妙な漂流物がたどり着く。それを開けた漁民のあいだに奇怪な病気が広がり、ハタシマの町は有刺鉄線がはりめぐらされ、隔離状態、今の言葉で言うとロックダウンの状態におかれてしまう。この漂流物はどうやら外国の細菌兵器だったようだ。猛烈な毒性を持ち、漁民たちは次々と死んでいく。ところがある若い女性が一人だけ病気にかかってから回復したようなのである。それが画家のカムル・ヨウコだ。(神室陽子かな? 原文では Kamuru となっているけど)おそらく彼女は毒性の弱い変異種に冒され、かろうじて回復することができたのだろう。肝心なのは、彼女が抗体を持っているということだ。彼女の血液からは何百万という人間の命を救う血清がとれる。が、その彼女が行方不明になるのだ。彼女の行方を追ってアメリカ、日本、ロシア、中国の警察やらスパイが暗闘を繰り広げる。ヨウコを見つけるのはどの国のスパイか。そして漂流物はどの国の兵器だったのか。
1960年代後半の騒然とした情勢を背景に物語は進行していく。しかし日本の描写と云っても作者が観光で手に入れた知識をまぶしているだけのチープなもので、あまり期待してはいけない。土産物屋でお目に掛かるような品が次々と出て来る。登場する日本人はどれも現実感を欠いており、遊郭におけるエロチックな場面も西洋人のファンタジーを日本に投影しただけの、興ざめなものとなっている。各国のスパイも溜息が出るほど型にはまっている。ロシアのスパイはウオッカの匂いをぷんぷんさせた、熊のような大男であり、中国共産党によって派遣されたスパイは人間のかけらもない、冷酷で非道な男だ。しかも中国のスパイの手下として全学連の学生が雇われるとは! しかしこういうクオリティの低い作品が読み手の精神状態を整えることがある。ダイエットの最中にチートディをもうけると、かえって減量が快調に進んだりするけれど、あんな感じである。良作とはとてもいえないが、わたしにはいい気分転換になった。