Was ist der Mensch?
--Arthur Schopenhauer--Jeder1 steckt2 in seinem Bewußtsein3 wie in seiner Haut4 und lebt unmittelbar5 nur in demselben6: daher7 ist8 ihm von außen nicht sehr zu helfen9. Auf der Bühne spielt Einer10 den Fürsten, ein Anderer den Rat11, ein Dritter den Diner, oder Soldaten, oder General. Aber diese Unterschiede12 sind nur im Aeußern13 vorhanden14; im Innern15, als Kern16 einer solchen Erscheinung, steckt bei allem17 das Selbe18: ein armer Komödiant19 mit seiner Plage20 und Not21. Im Leben ist es auch so22.
逐語訳:Jeder 誰しも in seiner Haut おのが膚のうちに[steckt はいっている] wie ごとく in seinem Bewußtsein おのが意識のうちに steckt [すっぽりと]はいっている、und そして unmittelbar 直接には nur ただ in demselben (= in seinem Bewußtsein)それの裡に於て[のみ] lebt 生きているのである。daher それゆえ ihm かれに対して von außen 外部からは sehr 大して zu helfen 救済すべくは ist nicht ない。Auf der Bühne 舞台上において Einer 一人の者は den Fürsten 王侯を、ein Anderer 他の者は den Rat 顧問を、ein Dritter 第三の者は den Diener 召使を、oder Soldaten あるいは兵士を、oder General あるいは将軍を spielt 演じている。Aber しかし diese Unterschiede これらの区別は nur ただ im Aeußern 外面に於てのみ sind vorhanden 存する。im Innern 内面には einer solchen Erscheinung 左様な現象の Kern 中核 als として bei allem すべての者の許に das Selbe 同一物が、[というのは即ち:] mit seiner Plage und Not おのおの其れ自身の悩みと苦労とを持った ein armer Komödiant 一人の哀れなる役者が steckt [その中に]かくれている。Im Leben [現実の]人生においても es それは auch また so その通り ist である。
註:【解説】此の文は、十九世紀初頭のドイツ哲学者ショーペンハオエルの Aphorismen zur Lebensweisheit 「処世術箴言」の一箇所を其のまま持ってきたものです。御同様人間と申す者の心底のくだらなさを悲壮なる正直さを以て正視一番するとき、その暗澹たる心境に瞳孔のピントの合いはじめた哲眼の前に朦朧と姿をあらわす満目蕭条たる世界像……それがショーペンハオエルの哲学です。
【1】Jeder: 「誰人といえども」は jeder Mensch, jedermann, ein jeder, または jeder。
【2】steckt: stecken というのは、何かの中に隠れて這入っていること。たとえば、Das Schwert steckt in der Scheide (剣は鞘におさまっている)など。人間という奴は、逆立ちしても己が意識の中から抜け出すことはできない、ということを、「おのが意識の中にすっぽりと没入している」と云ったのです。偉そうな一般論は吐いても、意識はあくまでも個人意識で、蝉が殻を抜け出すように自分を抜け出すことのできなところに人生の真相(これを現象という、ショーペンハオエルはむしろ「幻」象です)があるというわけ。
「こころ」(英:mind)にピッタリ相当する適語は独逸語に存在しない。まず大体 Bewußtsein というむつかしい言葉を用いる。【3】Bewußtsein: 英の consciousness, 「意識」です。形容詞 bewußt (……を意識せる)。――俗に云えば人間の「こころ」というやつですが、(すなわち、考えたり感じたりしている状態のこと)此の「こころ」という平易な、漠然としていながら而も非常に適切な語は、英語には mind という好い語があるのに、ドイツ語には丁度あてはまる好い語がありません。Herz (心)(heart)は感情に偏し、Geist (精神)は「考え」に偏するなど、いずれも色彩が附きすぎます。したがって、そういう時には、たとえ哲学者でない普通人でも、此の Bewußtsein (意識)という、イカメシイ語を使わねばならぬというところに独逸民族の一特色があらわれていそうです。
【4】steckt in seiner Haut: 人間が皮の中に這入って生きているという、滑稽な程厳密至極な物の考え方は、ショ翁が此処で発明したわけではなくて、ドイツ語そのものに昔からそういう考え方があるので、たとえば「人様の気持になって見るなんてことは無理な話だ」ということを Jeder steckt in seiner Haut と云います。その外 Aus seiner Haut kann niemand herausfahren (人間誰しも自分自身の皮から脱け出すわけには行かぬ――夜にして別人になるなどという芸当はできぬ)とか、In seiner Haut möchte ich nicht stecken (あいつの身になって考えるとゾッとする)などということを申します。Haut というやつは、けっきょく「己が身」の意なので、直接個人的に痛痒を感ずる痛々しい場所ですから、肉体そのものの事を面白く Haut ということになっているのです。
【5】unmittelbar: 「直接には」、「当面は」と、此の仮定的な「は」を入れて考えること。――次に「直接」という意味をよく考えること。すなわち、理屈を介したり、考え方の筋路を通じたりその他いろいろと複雑な観点を通じて考えれば、「間接には」或いは社会意識そのものだったり、没自我的境地に立ち得たり、その他いろいろなものだったりするが、しかし、いちばん「直截なところ、さしずめは(zunächst einmal)」何かというと、それはツマリ獣的自我だ、というのです。人間としての「当面の姿は」と云ってもよろしい。――mittelbar (= indirectly, 間接に)と unmittelbar (directly, 直接に)とを比較しておぼえること。
derselbe その同じもの。該者。【6】in demselben: 「その同じものの中に」は、dem- から見て、男性か中性でなければならぬから、die Haut ではなく das Bewußtsein の方を指す。darin または in ihm とも云えるところを、理窟ばると derselbe を用いる。
【7】daher: 「それ故」「かるが故に」という意味の副詞が非常に多い:darum, daher, deshalb, deswegen, also, und so.
【8】ist......zu helfen: kann man helfen と同意。此の文には主語がないが、正順なら Es を主語にして Es ist ihm nicht zu helfen ですが、定形倒置の順になると Daher ist ihm nicht zu helfen とか Ihm ist nicht zu helfen とか、主語の es を省くのです。他の例で云うと:
定形正置:Es ist mit ihm nicht zu scherzen.
あいつにはうっかり冗談も云えない。
定形倒置:Mit ihm ist nicht zu scherzen.
定形*置:Ob mit ihm zu scherzen ist?
あいつにうっかりからかって好いかどうかだ。
【9】文意:説諭して導いても、結局本人自身がその気にならねば本人の意識は改まらない。また、口からうまい物を入れてやっても、美しい家に住ませてやっても、月給を上げてやっても、それで本人が幸福になるかというと、そうは行かぬ。心の問題に関するかぎり、外部からは絶対に手の施しようがない。
【10】Einer: 現代文では小文字で einer と書く方が普通。以下 anderer 等、すべて然り。
【11】Rat, m.: 「顧問官」ですが、ドイツでは此の語を凡ゆるものに一般名称として用いるので、議員でも、次官でも、局長でも、審査員でも、重役でも、鑑査役でも、取締でも、委員でも、大臣でも、執事でも、秘書官でも、家老でも、番頭でも、すべて Rat さんです。――あとから思いついたが、Fürst は侯爵ではなく、英の prince と同様、一般名としては「国君」、あるいは「大名」、「元首」です。
【12】Unterschiede: der Unterschied (区別)の複。動詞は unterscheiden (区別する)。
【13】im Aeußern: das Aeußere が「外形」、「見かけ」、「外面」。Ae = Ä
【14】vorhanden: 「存在する」、「ある」という語が多いが、この vorhanden sein もその一つとして記憶すること。たとえば、「現存する」は wirklich da sein; wirklich vorhanden sein; wirklich existieren; Es gibt wirklich...... いずれも可です。但しおのおの用い所には多少の区別があります。
存する、存在する:
da sein.
vorhanden sein.
existieren.
Es gibt......
【15】im Innern: das Innere が「内面」、「内心」。
【16】Kern, m.: 元来は果物の核(さね)、転じて、中核、中枢、核心をなすものの事を云う。「うわべ」が die Schale (殻)で「中実」が der Kern です。ここでは「正体」と云えばよろしい。――原子核(Atomkern)や細胞核(Zellkern)等参照、英:nucleus.
【17】bei allem: bei jedem どの人間の許にも。(alle を単数形で jeder の意に用いることは比較的まれです)。
【18】das Selbe: dasselbe (同一物)と同じ。
意味に注意を要する概念:Komödiant / Dichter / Sabotage 等々【19】Komödiant, m.: 元来は「喜劇役者」のことであったのが、喜劇の方は大抵下等な役者がやることが多いので、遂に役者一般を軽蔑して Komödiant というのです。つまり河原乞食、馬の足、三文役者ですね。――こうした一般化は Poet, Dichter (詩人)にも見うけられます。詩人というと、詩を作る抒情詩人や短歌詩人を考えますが、それ以外に、そもそも「文人」のことを一般に詩人というのです。また Sabotage [サボタージュ]というと、元来は怠業のことを云ったものですが、近頃は意味が広くなって、たとえば整理された鉄道員の不満分子のやっている国鉄運転妨害、その他悪意のいたずら、妨害行為のことを Sabotage というようになりました。――ついでに、「喜劇」という語と「悲劇」という語の、綴と発音がちょっと変っているから、此の際刻明におぼえること! -die という語尾は単に「イー」ではなく「イエ」と二つに分けて読む。つまり Melodie [メロディー]の -die などとはちがうのです。
Komödie (英:comedy)
Tragödie (英:tragedy)
【20】Plage, f.:「苦しみ」、「苦労」――動詞は plagen (いじめる)。
【21】Not, f.: 「苦境」、「窮迫」、「不自由」、「難儀」。
【22】文意:舞台に立った役者の立場が、直ちにもってまた人生に立った人間の姿である。大臣に扮して国家を引受けたような顔をしてみたところで、それは結局芝居で、役と本人とは別物である。本人はけっきょく永遠の獣的個人で、ここに最後の問題がある。
意訳:人間とは何ぞや? ――ショーペンハオエル――
人間誰しも己が意識の裡に埋もれて生けること、其の全身にすっぽりと皮膚を引き被りたる様に異らず、当面的には只おのれみずからの意識の裡に生く。かかるがゆえに、外部より手を下して之を救わんとするも大した効目なし。そは譬えば舞台を見るが如く、或者は大名に扮し、或者は家老、或者は下僕、或者は兵士、また或者は将軍を演ずといえども、這般の差別はただ外形にのみとどまり、ひとたび其の内実を取って検するときは、化物の正体はどれもこれも大体似たり寄ったりの代物、すなわち、みんなそれぞれ苦しい内幕を持った貧乏役者にほかならず、人生も亦かくの如し。