ウィリアム・オファレル(1904ー1962)はテレビ番組 Alfred Hitchcock Presents のシナリオライターをしていた。短編小説でエドガー賞を取ったこともある。またウィリアム・グルーというペンネームも用いている。
本作は出だしからおやっと思わされた。アランという男が腕時計をどこかに置き忘れてしまうのだが、いくら考えても思い出せない。部下のおかげで時計は見つかるのだが、なんとそのそばには妻の写真があったのである。
こんな記述を読めばフロイトを知らない人でもアランが妻を無意識のうちに避けていることがわかるだろう。私は浮気の話かなと思った。
確かにそうなのだ。リリーという同じビルで働くかわいらしい娘に心を惹かれ、アランはつい彼女を食事に誘ってしまう。ところがリリーは顔に似合わず危険な女だった。アランをわがものにしようとどんな手でも使ってくる。彼の事務所はおろか自宅にまでもしつこく電話を掛け、奥さんに手紙まで送るのだ。
アランは途端にリリーと手を切ろうとする。しかしアランの部下のマールという男が事情をややこしくする。彼はアランを尊敬していたが、自分が彼に名前すら覚えられていないことに憤りを感じる。そしてそれまでの尊敬が憎しみに変化するのだ。しかもマールはリリーを見て恋に陥る。つまり尊敬していた男が懸想する女を奪い取ろうとするのだ。ジラールがいうところのミメーシス関係が成立するのである。
マールはリリーを自分のものにしようとして拒否され、つい彼女を殺害してしまう。そして運悪くその場にのこのこ出て来たアランもワインの壜でなぐりつけ人事不省に陥れる……。
ノワール小説、しかも他者の欲望をみずからの欲望とするミメーシス関係を描いた作品。ひどく短いが読み甲斐がある、いい作品だと思う。後半部分、マールがリリーを殺害する場面以降は、まるでテレビドラマでも見ているような書き方になっていて(シナリオライターの面目躍如だ)、迫力がある。ただちょっと不満もある。この小説はまずアランとリリーの火遊びから始まり、それが一定程度描かれてからアランとマールの分身関係を導入するのだが、この書き方には違和感がある。標題にも doubles (分身)とあるのだから、この関係を強調するような形で物語は書かれるべきではないのか。マールが前景に押し出されてきたとき、わたしは読みながら奇妙な断裂というか、唐突に別の主題が登場してきたような、しっくりしない感じを抱いた。この手の失敗は作家ならたいてい誰でもやらかすのだけれども。
ヒュー・ウォルポールも「殺す者と殺される者」という同様の主題を扱った作品を書いているが、本作はあれを想起させた。点数をつけるならウォルポールの書き方のほうがいいように思えるけど。が、オファレルが描こうとした主題は、わたしにとっては興味あるものだ。この作家の作品がほかにもあるなら、捜し出して読んでみようと思う。