Tuesday, February 8, 2022

ラルフ・ミルン・ファーリー「私がヒトラーを殺害した」

ファーリー(1887-1963)は面白い経歴の持主だ。ハーバードを出てから数学やエンジニアの教師をしたり、火器の照準システムを開発したり、マサチューセッツの議員になったりしている。議員のときは女性の権利の拡大のために運動をしていたようだ。二つの世界大戦にはさまれた期間、彼はパルプ雑誌に大量の作品を書いている。恐らくいちばん有名なのは The Radio Man のシリーズだろう。時間旅行に関する短編も多数書いていて、The House of Ecstasy (快楽の館)などは日本語でも読めるようだ。しかしファーリーの作品はほとんど未訳のままである。

今回たまたまファーリーの短編 I killed Hitler を読んだ。はっとさせるようなものはなかったけれど、この人の書き方は非常に丁寧で、いわゆる達意の文章だと思った。考え方が論理的なのだろう、文章が頭に良く入ってくるのである。こういう文章は大好きだ。

物語の筋は……。

ヒトラーの遠い従弟にあたる男がアメリカにいた。その名前は独裁者とおなじアドルフ・ヒトラー。もっともアメリカに移住したとき名前は変えたのだけれども。彼は肖像画を描く、あまり売れない画家だった。(ちなみにヒトラーも若い頃は絵を描いていた)

ところがヒトラーがアメリカに宣戦布告したものだから、アメリカの従弟は従軍しなければならなくなった。芸術家であるわたしを兵士にするとはなんということか。この戦争を起こした張本人、ドイツの独裁者など、殺してしまいたい。そう思った彼は、時間をさかのぼって、ヒトラーがまだ少年時代のころに戻り、彼を殺してしまえたら、と夢想する。

その夢を実現できる友人が彼にはいた。インド人の神秘家の友人である。彼は不思議な魔術を使ってヒトラーの従弟を、ヒトラーが十歳だった時代へと送り返す……。

このあとどうなるかは言わないが、まあ、ご想像の通りである。もしかしたらここに「ヒトラーがヒトラーであるために、ヒトラーは殺されなければならないのだ」という哲学的主題を見ることもできるかもしれない。つまりヒトラーがヒトラーであると云う同一性が成立するには、非同一性の契機がそこに含まれなければならないということだ。が、読後感の凡庸さはそこまで考える気にはさせない。たださっきも言ったように、文章は悪くない。この人の作品はもう少し読みあさって見ようと思う。

独逸語大講座(20)

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