マックス・マレイは1901年、オーストラリアに生まれ、56年に亡くなるまで新聞記者やら脚本家、BBCのレポーターや編集者として活躍した。ミステリも書いていて、48年に出た「屍体の声」は彼のミステリ処女作らしい。ちなみに彼のミステリにはいつも「屍体」(corpse) という単語が入っている。
本作はイギリスの田舎社会を舞台にしている。誰もが誰もを知っている狭いコミュニティだ。そこに一人嫌われ者がいた。彼女はアンジェラという名前で、他人の秘密を見つけ出して、嫌がらせの手紙を出したり、直接相手にその話をぶつけ、相手があわてふためくのを見るのが趣味なのだ。このアンジェラという女が鈍器で脳天を殴られ、死亡するという事件が起きる。
事件の解決に当たるのは若き法律家ファースとスコットランドヤードのファウラー警部だ。地元の警察も犯人を追うが、彼らは浮浪者の仕業だろうと考える。一方、ファースとファウラーは村の人間があやしいとにらむ。問題は、殺人が起きた時刻に大勢の人間がアンジェラの家の近くをうろついていたことである。牧師、医者、退役軍人、正体不明の女、ファースの依頼者と婚約している男。犯人ははたして誰か。
この作品はちょっと面白かった。ファウラー警部が決定的証拠を見つけ、急転直下犯人を逮捕するのだが、そのあとのどんでん返しがあざやかで、感心した。真犯人は論理的な推論によって指摘されるわけではないが、十分に意外性がある。文章もアイロニーを含んだ味のあるもので、マックス・マレイがほぼ無名だという事実が信じられないくらいだ。
作中人物でいちばん印象に残ったのはシム夫人である。彼女はちょっと頭がぼけているようで、じつは事件の真相をはじめから知っていたようなのだ。そして村の小さなコミュニティがこわれないように、力を尽くしていたらしい。それだけではない。自分の娘が物語の最後でファーストと結婚することもお見通しだったようなのである。探偵以外にすべてを見通している人間が描かれる、というのはかなり珍しいし、わたしは心にひっかかるものを感じる。たぶん近いうちにまたこの作品は読み返すことになるだろう。