Saturday, April 23, 2022

アンソニー・ロールズ「牧師のあやまち」(1932)

原題は Clerical Error。主人公はパーディコットという牧師さんである。彼は優柔不断ともいえるくらい性格が穏やかで、教区民からは非常に好かれている。ところがあるとき突如殺意を抱くのだ。彼の教区にはカーゴイという退役軍人がいた。現役時代は海軍で大活躍をしたらしいが、今はゴルフに明け暮れている。この男は新しいものが嫌いで、教会の窓ガラスを変えることにもいちいち文句をつける。牧師はカーゴイにねちねちと苦情を言われているときに、ふとこの男を殺すことこそ、神が自分に与えた仕事であると自覚する。なんだか突然すぎて奇妙な感じがするが、読み進めるとパーディコット牧師が密かにカーゴイの妻に心を寄せていることが分かってくる。退役軍人を殺そうと考えたのにはわけがあった。牧師は軍人がもともと邪魔だったのだ。

しかし牧師は、軍人を殺すことは「天意」だと本気で考えている。自分は退役軍人の妻に懸想している、だから彼を殺そうとしている、という意識はまったくない。ここがこの小説の面白いところだ。

パーディコットは毒薬の研究をし、まんまとカーゴイの殺害に成功する。しかし殺人は殺人を呼ぶ。カーゴイの墓を毎日見ることに耐えられなかった牧師は教区を変えたいと思う。そして行きたいと思う教区の牧師を殺そうとし、さらに自分の奥さんも……。

この本は予想以上に面白かった。パーディコットは殺人鬼だが、彼には犯罪を犯しているという意識がまるでない。妻を殺すときもそうだ。パーディコットが妻を毒殺するために医者の薬置き場から薬を盗む場面があるが、そこにはこう書いてある。

この行為は前もって予定されていなかっただけではない。無意識であったと言ったほうが正確だろう。もしも医者がふらりとあらわれ、パーディコットになにをしているのかと聞いたなら、彼はわからないと心から答えただろう。

彼はある行為をする。しかしその行為の意味・意図をまったくしらない。自分は自分が殺した退役軍人の妻を愛している、だから自分の妻は邪魔者である、それゆえ毒薬を盗んで彼女を殺そうとしている、といった意識がパーディコットには皆無なのだ。

こういう犯罪者を描いた作品はなかなか珍しい。自分が犯罪行為をおかしていることに気づかない人間。そのような行為をおかす動機にも気づかない人間(第三者の目には明々白々なのに)。

犯罪者は動機を意識しているという説はまったくあやまりである。無実を主張して死んでいく殺人犯は、おそらく99パーセントが本音をしゃべっている。すくなくとも動機に関しては本音をしゃべっている。自殺とおなじように殺人も、それ自身を真の意味で認識できていない精神がなす行為である。

意識は嘘をつく。これこそ精神分析の出発点である。この認識に到達しているという点で「牧師のあやまち」は非常に面白かった。

探偵小説と精神分析は、生まれた時期がいっしょだったとか、フロイトがシャーロック・ホームズのファンだったとか、いろいろ深い関係があるのだが、犯罪行為の無意識性にこれだけ焦点をあてて書かれた作品というのはめずらしいし、非常におもしろかった。ミステリとしては、いまひとつの出来栄えだが、読んで損はない作品だと思う。

英語読解のヒント(145)

145. 付帯状況の with 基本表現と解説 He was sitting, book in hand, at an open window. 「彼は本を手にして開いた窓際に座っていた」 book in hand は with a book in his hand の...