ロシア人の青年がボルシェビキ・ロシアを逃れてドイツに逃亡し、そこで家庭教師を営んでいた。本文中では名前をあげられていないこの男は、好きでもないマチルダという女と不倫関係にある。あるとき女房の火遊びに気づいたマチルダの夫が青年のもとにあらわれ、杖でさんざんに彼を打ちのめす。しかも彼が教えている子供たちの前で。青年は屈辱のあまりピストル自殺してしまう。
ここまではいいのだが、この先、物語は異様な展開をむかえる。青年は病院で意識を取り戻すのだが、「死んでも意識はそのまま継続するものらしい」と思いこむのだ。そして肉体を離れ、空中を浮遊する「目」となって孔雀通り五番地に住むロシア人一家を観察しはじめるのである。ヴァーンヤ、エヴゲーニャという姉妹、エヴゲーニャの夫フルシチョフ、親戚のマリアンナ、友人のロマーンとムーヒンとスムーロフ。これらの人々が「目」によって語られる物語の登場人物である。
このなかでも「目」がとりわけ執拗に注目するのがロシア人一家と最近知り合いになったスムーロフである。「目」は彼の人柄や、ヴァーンヤとの関係をひどく気にする。
さて、主人公が自殺し、「目」になるという展開も妙だが、物語を読み進めるとさらに妙なことに気づく。空中を浮遊する観察者となったはずの「目」が、普通の人間として登場人物たちと会話をしたりつきあったりしているのである。死んだのだから、生きてこの世を動きまわれるはずはないのだが、「目」は花屋で花を買ったり、とある男から手紙をふんだくったりしている。つまり「目」は死んではいないのだ。自分では死んだと思いこんでいるが、本当は普通に生きているのだ。そして本書の最後では「目」が誰であるのかが明かされる。
ナボコフらしい怪しい語り口の小説で、面白いとは言わないけれども、気になる作品にできあがっていると思う。近いうちにまた読み返すつもりだ。