デイヴィッド・スタックトン(1925-1968)はネヴァダ生まれの作家。今彼を知る人はほとんどいないが、SF作家のトマス・M・ディッシュが彼のことを賞めていた。「内なる狐」はスタックトンが書いたミステリ風の小説だ。
「内なる狐」とは妙なタイトルだが、これは沙漠の女王と呼ばれた探検家ガートルード・ベルの言葉から来ているらしい。「われわれが盗んだものは、われわれを滅ぼす。それゆえスパルタの少年がいかにまともな外見をしていようとも、その心の中には狐がいるのだ」。狐とはわれわれの心の中にあり、われわれを滅ぼすものであるらしい。しかしもともとそれはわれわれが盗んだものである。われわれは欲に駆られてものを盗むが、欲望の対象がまさにわれわれを滅ぼす。まあ、よく見かける、世俗的な理屈ではあるけれど、スタックトンがパラドックスに興味がありそうなことは、これだけでもなんとなくわかる。
物語の中心にいるのは三人の人物。いつまでもある種の美しさをなくさない驕慢な金持ちのリリー・バーンズと、彼女の圧制下にある娘のマギー、そしてマギーの昔の恋人で、今は弁護士をしているルークである。マギーはチャールズというわがままな弁護士と結婚していたが、ある晩、チャールズのいる家へ行き、離婚を申し入れる。そのとき(マギーの話によると)チャールズは倒れ、石炭入れに頭を強く打ち、死亡したというのである。マギーは慌てて母のいる家に行き、事情を打ち明ける。母はことの重大さを知り、夜中であるにもかかわらず弁護士のルークを呼びつけ、マギーの身にスキャンダルが起きないように手配させようとする。
ルークはまずチャールズの家に行き、マギーの話が本当か確認する。しかしそのとき、彼はチャールズが死んで以後、何者かが家の中を捜索したような印象を持つ。実際、彼がチャールズの家を出て帰ろうとするころ、警察の車が走ってくるのである。家には屍体しかないはずなのに、誰かが警察を呼んだのだ。いったい誰がいたのか、その人間はなにを捜していたのか。
物語は徐々にこの事件の背景となった複雑な、あるいは隠された人間関係をあきらかにしていく。同時にサンフランシスコの上流社会がいかなるものであったかが、わかってくる。富と権力が幅をきかせる社会、欲望のせいでみずからの身の破滅を招く人間模様。これは随分と文学的で詩的なノワール小説と言っていいだろう。
正直な話、この作品にはのめり込むことが出来なかった。登場人物はどいつもこいつも不愉快な連中ばかりなのだ。こんな人間どもが鼻をつき合わせているような社会があるのだろうか、と不思議に思ったが、どうやら作者が若い頃は、実際にそういう人間がまわりにごまんといたらしい。ただ非常に印象的だったのは、サンフランシスコの自然と歴史の神秘的な描写である。とりわけそれはルークとマギーの関係を描く部分に見られるのだが、植物の生命力や歴史の記憶が二人の愛情に独特の味わいをつけ加えていて、これはちょっと忘れがたい。