ロヴェリは随分と詩的な書き方をする人だ。こういう書き方はアメリカの科学ライターたちは滅多にしない。しかしわたしはロヴェリを貶しているわけではない。逆にいろいろ考えるきっかけに充ちていると思った。
本書は時間とは何か、通念とはかけ離れた科学的概念としての時間について書かれたものである。作者はこの数年、英米でも非常によく読まれている科学者で、わたしもガーディアンの書評を読んでからいつか目を通そうと思っていた。読んでみると、なるほど面白い。
わたしが興味を持った点をいくつか列挙する。
1 わたしはシェイクスピアを読んでいるとき、rhythm という概念に興味を持った。シェイクスピアはものにはそれぞれの rhythm があると考えているようだ。この rhythm がそのものの存在のありようを決めている。このリズムとは何なのだろう、おそらく時間と関係があるのではないか、ということはすぐに思いついた。つまりものにはそれぞれ固有の時間があるのではないか。ただあの当時は、それ以上のことをテキストから読み取ることが出来ず、そこで考えるのをやめてしまった。本書を読んで最初に目を惹いたのは、「単一の時間があるのではない、とてつもなくたくさんの時間があるのである」とか「生起するどんな現象にもそれ固有の時間、それ固有のリズムがある」といった表現である。このおかげでわたしは自分の考えと比較しながらこの本を読むことが出来た。そして昔考えたことをさらに推し進めるヒントのようなものを手に入れることが出来た。
2 本論とは関係がないが、ロヴェリはちらりと「科学と革命の親和性」について語っている。科学の本質は、それまでの知識をひっくり返すところにある。コペルニクスにしろ、ガリレオにしろ、ハイゼンベルクにしろ、それまでの常識(支配体制)を打破して新しい科学を打ち立てている。わたしはよく知らないのだが、フランス革命の主導者たちのなかには科学者がかなりいたというではないか。この点から、なぜ日本の科学力が衰えたかということについて考察が可能だろう。つまり新しいもの、外部の文化を拒否して、内に閉じこもり、現状を維持することに汲々としている情況では、革新的な科学思想は生まれてこないということなのではないか。
3 量子力学によると時間も空間も不連続なのだそうだ。そこでわたしが知りたいのは断点がどのような役割をになっているのか、という点である。残念ながらこの断点についてわかりやすい説明を聴いたことがない。おそらく科学者にも不明なのではないか。わたしは「オードリー夫人の秘密」を読んだときに断点の意味について考えた。うんと簡単に言うと、「オードリー夫人」において断点は「目的論的な構えを瓦解させる」力を持っている。さらに断点はこの作品空間(三次元空間)においては「穴」「空隙」という形で表象されている。そんなことを考えた経験から物理学において断点がどのような機能を持つのか、興味津々なのである。
4 「時間性は根本的に混乱と結びついている。混乱はわれわれが世界の微視的詳細について無知だという事実から生じる。物理学における時間はつまるところわれわれの世界に対する無知の謂いである。時間とは無知なのだ」という主張は面白い。時間論を扱った本書の白眉となる部分である。逆に言えば、すべてを理解するなら時間は存在しなくなるということだ。また上述の考え方を引き出した数学者 Alain Connes は友人二人と短い物語を書いているのだそうだ。その主人公は量子力学的な無限の情報を失うや、時間のなかに引き戻される。そして時間がふたたび顕れると、混乱や苦悩や恐怖や疎外の感情が心に湧いてきたというのだ。これはじっくり考えるに価する発想である。
ただ、ラカンなどの考え方と比較したとき、やや保守的な印象を与える考え方だ。すべてを知る、とは、すべてを主体の権能下に治めることであり、他者性を完全に克服することだとするなら、ロヴェリやアラン・コンヌの考えでは他者性は主体の外部に存在することになるだろう。一方ラカンやジジェクは、他者性はまさしく主体の内部に宿り、パラドキシカルにも主体を構成し、主体を不可能にするものとして存在している。わたしが読む限り、ソシュールも時間を完全に排除したはずの言語システムから時間の概念(他者性)が析出されるというパラドクスを提示している。シェイクスピアの作品も、主体内部の本質的な部分として他者性を考えている。時間は本当に「無知」の問題なのか。物理学と人文科学の知見を単純に比較は出来ないが、基本にあるモデルを比較するとき、ロヴェリのモデルはやや単純に見える。
科学者が哲学めいたことをしゃべり出すと、それはほとんど有害と言ってもいいくらいの阿呆陀羅経となるケースが多い。ロヴェリにもその傾向があるけれど、しかし科学的な事実について解説した本書の第一部は刺激的だ。カク・ミチオとは別の角度から物理学を知ることが出来た。