Saturday, November 26, 2022

ハリー・アダム・ナイト「スライマー」

1983年に出たB級ホラー小説で、ばかばかしいけど、そのばかばかしさを承知で読めば面白い。ヨットで麻薬を密輸しようとした三組の男女が遭難し、洋上に浮かぶ石油掘削基地にたどり着く。やれやれ、これで寒さとひもじさから逃れられると思ったのもつかの間、六人の男女はこの基地が無人であることに気付く。しかも夜になって恐るべき怪力をもつ何物かが、一組の男女が休んでいる部屋のドアを破壊しようとしたのだ。ここから息つく暇もない恐怖の連続、まさに巻を措く能わざるスリリングな展開となる。


 化け物がなにかという説明は興ざめになるからいちいち書かないが、この本が書かれた当時に評判を呼んだ「利己的な遺伝子」の議論とか、核戦争への恐怖とか、遺伝子操作への不安などが混ぜ合わされて、その中から生まれてきた物語になっている。

そしてこの化け物は「死んでいると同時に生きている」という特徴を持っている。ホラー小説ファンにはおなじみの特徴だ。わたしは最近「ドラキュラ」の劇場版を翻訳して出したけれど、このドラキュラがこの特徴を持つ怪物の始祖といっていい。われわれは「生きているもの」と「死んでいるもの」という二項対立はよく知っている。光に対する闇、男に対する女、陰に対する陽といった常識的な対立である。ホラー小説はさらにもう一つの項、「死んでいるが生きている」というパラドキシカルなものをわれわれの認識に付加する。いわゆる undead である。この観念はじつは哲学や神学や精神分析などにも見られるもので、ホラーに出てくる怪物は、われわれを楽しませてくれるだけでなく、学問的にもそのパラドキシカルな性格の故に問題となっているのだ。たぶんわたしがホラー小説に魅惑されてならないのは、undead なるものの尽きない不思議さに取り憑かれているからなのだろう。そして undead の不思議さを伝えるものであればあるほど、わたしにはよいホラー小説と思えるのだろう。

本作もB級とはいえ、undead がリビディナルな空間に存在していること、その空間は日常と奇怪な形で接していることを示していて興味深かった。

独逸語大講座(20)

Als die Sonne aufging, wachten die drei Schläfer auf. Sofort sahen sie, wie 1 schön die Gestalt war. Jeder von ihnen verliebte sich in 2 d...