Thursday, October 26, 2023

オクタヴス・ロイ・コーエン「地上の星」

巨漢の探偵ジム・ハンヴェイがハリウッドを舞台に活躍するミステリ。

田舎でスカウトされ、たちまちスターにのし上がった若者テンス・ウィルソンは、ある日、突然とある女優と結婚式を挙げ、メディアを騒がせる。結婚式の夜、彼はスタジオで撮影があったのだが、スクリプト・ガールからなにごとかを耳打ちされると、途端に顔色が変わり、撮影をやめたいと云い出す。監督にその要求を拒否されたウィルソンは、小道具のなかからピストルを取り出し、実弾を込め、尻ポケットに突っ込む。そして出番のないときは暗がりにじっと身を潜めるようにしているのだ。その奇妙な振る舞いにただならぬものを感じた映画会社は、探偵のジム・ハンヴェイを撮影現場に呼び出す。

そこで事件が起きる。撮影が休憩に入ったとたん、ウィルソンは銃殺され、彼と結婚した女優も意識不明で倒れているところを発見されたのだ。映画セットのなかで行われた殺人事件をハンヴェイがどう解決するのか。

はっきり言ってしまうと、この作品にはあまり感心しなかった。ハリウッドの様子が多少垣間見られて、その点は楽しいのだが、推理自体はフェアでもなければ、知的な刺激に満ちてもいない。

本作は通俗作家にありがちな駄作と称してかまわないだろうが、しかしわたしは作者のコーエンを優秀な娯楽作家であると考えている。1920年代、恐慌が始まる以前のある種の軽さを身にまとった人だが(それともこの軽さはハリウッドに由来するものだろうか)、読者の興味を引きつけるコツを知っている、ちょっとした才人だと思う。彼の作品は映画化されたものもあり、まちがいなく当時の人気作家の一人だったと言えるだろう。しかしそれだけなら楽しみながら消費されて終わるのだが、コーエンにはさらになにか変なところがある。彼のミステリはどことなく釈然としない要素を含んでいることが多いのだ。それは物語がきちんと構成されていないから、というのではない違和感、逆に、ミステリの根本にかかわるが故に妙だと感じさせるなにかである。Gray Dusk とか Love Can Be Dangerous などはとりわけ問題作である。アメリカのミステリがすごいのは、パルプ作家であってもフレデリック・ブラウンとかコーエンみたいな才能豊かな作家がいるというところだ。


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