Tuesday, December 26, 2023

胡桃沢耕史「黒パン俘虜記」


このブログでは英語の本を紹介することにしているが、「黒パン俘虜記」は非常によかったので、特別に印象を書きつけておきたい。胡桃沢の作品ははるか昔にしょうもない内容のものを読んだきり(タイトルも筋も覚えていない)で、二度と手を出すことはないと思っていたのだが、たまたま図書館で背表紙に書かれた「俘虜記」の文字を見、戦記好きの私は興味を惹かれて読み出した。圧倒的な面白さで私は胡桃沢を見直した。

戦争という極端な情況においてはある種の逆転が生じる。たとえば生への欲望は死への欲動へと変貌する。生への欲望はそれを追求していくといつの間にかメビウスの帯のように反転して死への欲動へと変質するのである。「黒パン俘虜記」の最初のほうには作者が滿州で俘虜となり、黒パンと水同然のスープだけで強制労働をさせられる様子が描かれている。といっても彼らを働かせるモンゴルは国際基準に則った食糧を与えているのだ。問題は強制労働をさせられている日本人俘虜のなかからボスが現れ、そのボスが食糧を搾取していることなのだ。しかしそれはともかく、飢えに苦しむ俘虜の一人があるとき六キロもの黒パンを手に入れる。彼はそれを夜中に食い出すのだが、腹が一杯になって苦しくなっても食い続け、ついには悶絶死してしまう。これは食欲が死の欲動に変質してしまっている。

性に関しても胡桃沢の作品は興味深い問題を提起している。彼は収容所を出て病院で働かされることになる。病院では死者の内臓を刻んで重量を量るという、ぞっとしない作業をやらされるのだが、しかし食事だけはまともに出される。それである程度体力を回復したのだろう、彼は週に一度は性欲を感じるようになる。しかしマスタベーションの際に彼は豪華な料理を思い浮かべるのである。たとえば汁がたっぷりかけられた鰻丼を想像しながら果てるわけだ。この手の話はほかでも聞いたことがあるが、性とは何かについて考えるよい材料となる。ここで考えるべきは過酷な状況下における性欲の異常などではなく、マスタベーションの際にわれわれが思い浮かべる(fantasize)女とは、じつは食い物とおなじではないのか、ということである。昔のテレビのコマーシャルに、女がカエルにキスをするとカエルが若い男に変身し、その若い男が女にキスをすると、女がビール缶に変身し、男がそれをうまそうに飲むというのがあるらしいが、こういうところにこそ性を考えるヒントが潜んでいる。

本作は最初から最後まで少しも語りが弛緩することなく続いていく。見事なものだ。心から感服した。

独逸語大講座(20)

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