Sunday, January 21, 2024

オリーブ・ノートン「死体鳥が啼く」

死体鳥というのはフクロウのことだ。とりわけ啼き声のけたたましいやつをいう。あれが近くで啼くとぎょっとして跳び上がることがある。古くから不吉な鳥とされていて、lych-owl 「死体-鳥」、本書の舞台となるウエールズでは aderyn-corff (aderyn は死体の意味)と呼ばれる。主人公の巡査部長ロビン・ジランは休暇で北ウエールズへ行き、釣りを楽しもうとするのだが、到着したその晩にさっそく死体鳥が啼く。そしてロビンが車に乗せてやった、若い女のヒッチハイカーが行方不明となり、捜索の結果、死体となって発見される。そして彼女を最後に見たロビンは殺人の容疑をかけられるのだ。

ミステリになれた人ならかなり早い段階で事件の真相にあたりをつけることができるだろう。私も事件が起きてすぐに見当が附いた。しかしオリーブ・ノートンのミステリは、謎とその解決に主眼があるのではない。事件を通して主人公がある気づきを得る、それがノートンの作品の面白いところだ。「死体鳥」の主人公ロビンも事件を探るうちにある気づきを得て、小説の冒頭で気まずい関係になってしまった恋人との仲を修復することになる。じつのところ殺人事件よりもロビンの私生活におけるドラマのほうが重要なのである。殺人事件はロビンが自分の内面を整理する手掛かりになるにすぎない。

つまりこの物語ではパースペクティブの転倒が生じている。主であるはずの私的ドラマが、副であるはずの殺人事件の背景においやられているのだから。しかしパースペクティブが転倒した物語、つまり読者の関心を惹く事件、災害、カタストロフィーが、その背景として描かれている人間関係の比喩的表現でしかない作品というのはかなり多い。以前このブログで紹介したピーター・チェイニーの Lady、Behave! もこの構造を持っている。SF映画などで描かれるカタストロフィックな事態も、そこに登場する家族や夫婦の葛藤の、比喩的表現になっていることがある。たとえば娘の反抗に対する父親の激怒が、地球を襲う巨大隕石として現れ、最後に地球を救おうとする父親の決死の行為は、娘との和解を比喩的に示す、というように。内的なもの(葛藤)が外的なものに投影されるこの構造については、考えるべき問題が多数含まれているような気がする。


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