Tuesday, August 20, 2024

ロス・マクドナルド「ウィチャリー家の女」

 

この作品では私立探偵リュー・アーチャーは、ホーマー・ウィチャリーという石油で儲けた富豪から娘のフィービを探してくれと頼まれる。船旅に出るホーマーを船まで見送ったあと、彼女は行方不明になったというのである。アーチャーはいつもの通り手掛かりを追い、チンケな悪党どもの跋扈する世界に迷い込み、一度は不意の襲撃を受けて頭に大けがをし、もちろん人殺しの現場にも出くわす。そして事件の輪郭が見えてきたとき、アーチャーはウィチャリー家そのものと向かい合う。事件の核心はウィチャリー家の外にあるのではない。その内部にこそ闇が潜んでいるからだ。

この本で面白かったのはリュー・アーチャーが依頼人のホーマー・ウィチャリーになりかわってしまうところである。二人がはじめて出会ったとき、ホーマーは言う。「わたしがホーマー・ウィチャリーだ。きみはリュー・アーチャーさんだね」何気ない挨拶の言葉だが、ここでは「わたし」と「あなた」が截然とわかたれている。ところが調査の途中でリューは情報を聞き出すためにわざと自分がホーマーである振りをする。最初のうち、アーチャーは嘘をつく自分に居心地の悪い気分を味わうが、次第に慣れて来るとこんな感慨をもらす。

何度も嘘を繰り返すと心に奇妙な変化が生じる。しょっちゅう口にすることが暫定的な真実になるのだ。わたしはフィービが自分の娘だとなかば本気で信じている自分に気づいた。彼女が死んでいたら、わたしはウィチャリーの喪失感を共有することになるだろう。わたしはすでに彼の妻に対する彼の気持ちを共有していた。

彼は他人の立場に立ち、他人の感情をわがものとして感じてしまう。この不思議な感覚はこの小説を理解する上で非常に大切だろう。なぜなら事件の中心にいるホーマーの娘フィービは、まさにウィチャリー家の個々のメンバーの罪を、わがこととして、一身に引き受けてしまう存在だからである。この小説に於いてフィービが直接描かれることは最後を除いてほとんどないといっていい。しかし彼女の心に起きた「奇妙な変化」はアーチャーの「奇妙な変化」を通して説明されているのである。家族に対するフィービの精神病的反応の仕方は、精神科医によって専門的に解説される場面もあるが、読者がアーチャーの変化に気づいているなら、そしてそれがフィービの反応とパラレルな関係にあることに気づくなら、精神科医の説明はいっそう得心の行くものとして受け容れられるだろう。フロイトに詳しい人なら転移とのからみで彼が挙げているいくつか興味深い症例を思い出すかもしれない。

ロス・マクドナルドの描く「さまよう娘」のなかで私はフィービがいちばん悲劇的な存在だと思う。周囲の人間は好き勝手にやっているだけなのだが、フィービはその罪をすべて背負い込み、自分の罪として苦しむ。DV被害者の子供にはときどきおなじような症状が見出されるが、これはけっして単なる「小説の中の出来事」ではない。


ロス・マクドナルド「ある人々の死に方」

  これは高名な作品だから筋を知っている人は多いと思う。一応簡単に紹介すると…… 私立探偵リュー・アーチャーはミセス・サミュエル・ローレンスに行方不明になった娘を探してくれと頼まれる。アーチャーは彼女のあとを追って米国西海岸の裏社会、ヤクザやクスリの売人や売笑婦らの世界に足を踏み...